シメジシミュレーション、ここで終わるの!? みたいな終わり方をしている。気分的には、大震災でまどマギが中断された時と同じ気分。
創造に際して、魅力と現実感とを両立させるためには、できるだけ嘘をつかないことが必要だと思っています。
中心にその作品のテーマとなる大きな嘘があって、それ以外は極力嘘をつかないようにする。SFだとその傾向は顕著で、つくみずさんもこれに則っていると思います。
じゃあ、シメジシミュレーションはなんなのか? というと、「世界は認識によって(物理的にすら)変容する」が中心に据えられた嘘(≒テーマ)なんだと思います。
3巻中盤までのマイルドな物語の中では、「変な人、変なものは世界に少なくないけれど、変なら変でそれでいいや」というやさしい世界観が語られていました。でも、ここでは終わらなかった。
ここから先は古代〜近代の哲学、認識論的な話になってきます。
3巻終盤で世界を変えた結果、テーマが変質してしまったんだろうなぁと思います。
それまでは「変だと思うのは主体の認識によるもので、それを受け入れられれば別に変でもいいよね」……つまり、認識によって世界は変わる! みたいな話だったんですけど、認識が物理的な世界にまで干渉するようになってしまった。
巻貝型装置のやったことは、もとから夢と現実との境があやふやだった世界の楔を外すような行為で、ここから先は一読しただけじゃわからないな……という感じです。
思うに、つくみずさんがやろうとしているのは哲学的命題に対してなんからの答えを出し、それを表現しようとしているんじゃないかなぁ、と。
天体と数学を結びつけるのはなんらかの神学が関わっていそうだなと思うし、となれば中世の存在論がテーマなのは間違いないんだけど、ちょっと今のところだと判断つかないなぁという感じ。
まず、タイトルがぜーーーんぶ誤字ってるんですよね。誤字というより、意図的に母音をスライドさせている。でもiだけは正しい場所にあり続けているように見えるけどそうとは言い切れないような間違い方。iは愛なのか私なのかわかりませんけど、なんらか意図はあるんでしょう。
で、4巻学祭編の最後で起こったライブは、またテーマを変質させたと思う。
そもそも「認識によって世界は変容させられる」の主語は「私」でした。
だから、言い換えれば「私とあなた(世界)と」の話だったんです。今までは。
でも、私と世界の界面がなくなってしまった、つまり私の認識によって私を変えられるし、その逆も然り。
これの何が問題かというと、「認識」は主体による観測が必要だったのに、もはや観測される必要すらなくなったということ。
穴掘り部が考古学的構造物を展示していたのはこの事件に対する対比で、考古学って「歴史書等が残っていない時代のことを、出土したものから推測する」学問なんですよね。つまり、主体による観測・認識から歴史という形のないものが想像されていたことを象徴しています。
もはやあの世界の現実は、観測されなくても変容することの恐ろしさがわかりますか。
・この瞬間が全てだと思えるほどの力強い現在
・私たちはなぜ音楽に感動するのだろう
これだ。これだ!!!!! これだ!!!!!!!!!!!!!
理性的に現実と向き合った結果生まれる矛盾から思い立った疑問のように見えるけど、たぶんこれがこの作品を通して向き合った命題だ。そしてこれから語られるのがその答えだ。
ここから先は、もはや私とあなたとの区別すらなくなってしまったらどうなるのだろうという世界。主体と客体との区別がなく、観測が発生しない、存在を誰も保証してくれない世界の話になるのかな。
F/Fが0で発言もしないアカウントは誰にも認知されないように、存在するには誰かに観測される必要があるんですよね。
星空は数学だ、世界は歌だと示した今、じゃあこの先どうなるのかな。
5巻の発売いつですか?
風邪かコロナかわかりませんが、咳とだるさがあったので引きこもりゲーミングをしていたのですが、しばらくぶりのシレン5がめちゃくちゃ上手くて、もしかしてゲーム上手くなってるかもしれない……! となった土曜日。
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日銀函館支店のホムペ、下手な老人会ノリよりちゃんと古い作りしてて最高!
https://www3.boj.or.jp/hakodate/index.html