鳩の日
🏖️ 山川 夜高 / YAMAKAWA Yodaka
作品タグ https://misskey.design/tags/SeasideBooks
小説、絵、装丁・デザイン
本編は小説で登場人物の絵を描きます
📐 デザイン
書籍装丁・組版・ロゴ制作などのデザイン依頼を受け付けています
https://libsy.net/order
🐀 アイコン
ねずみちゃんはジャンガリアンドブネズミです
https://libsy.net/about/nezumichan
♠️ Aro/Ace they/them
恋愛を主題とした作品に興味を持てないので、自分では作らないし他の方の作品へも反応しないです。ご了承ください。
地元のキジバトはホーホーホッホーではなく
ポー ブオッポポー↑ポー↓ ブオッポポー↑ポー↓ ブオッポポー↑ポー↓
チェキ撮るタイプのバンドマンとチェキ撮らないタイプのバンドマンがあり、うちで取り扱ってるのはチェキ撮らない方なんだけど、なんだかんだチェキ絵は描いてる
ライブハウスで終演後に声掛けられるならまあ応じてくれそうだけど、プライベートでいきなり声掛けられたら皆ビックリしそう
『Cipher』がチェキで済むわけないだろ 銀塩写真だよ というかいくら積んだら劇団俳優と2ショット撮れるんでしょうか
たぶん0に対しては皆塩対応を通り越した激辛対応を「求めている」ので、気まぐれにちょっとでも親切にしたら逆に不審がられる
演奏中のXは虚無なので写真撮られてても あ、撮られてるな と思うだけで所作が何も変わらない
演奏していないときのXも虚無なので 写真撮ってください って言われても ふーん で終わり
田邊さん(Drums./Drive to Pluto)はですね 幕間にフロアから名前呼ばれたらそちらの方には顔も上げないし目も向けないけどバスドラの重いキックで応えてくれるんですね カッコイイですね
https://misskey.design/notes/9d2rmps2s5
SkebでOCのカシマを描いてもらいました!!
私がクソ番引いて後方でしか見れなかった回のライブ写真です!!(幻) あたのさんいつもありがとう🙏
https://twitter.com/atanonata/status/1689084779482996736
以前あたの先生にSkebで描いてもらった自創作キャラもご覧になってください
セレスタ(『これは物語ではない』)
https://skeb.jp/@atanonata/works/1
Drive to Pluto メンバー3人
https://skeb.jp/@atanonata/works/4
明日未 (This Earth Is Destroyed)
https://skeb.jp/@atanonata/works/9
カシマ (環-Tamaki-) ←今日頂いた
https://skeb.jp/@atanonata/works/11
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
SkebでOCのカシマを描いてもらいました!!
私がクソ番引いて後方でしか見れなかった回のライブ写真です!!(幻) あたのさんいつもありがとう🙏
https://twitter.com/atanonata/status/1689084779482996736
以前あたの先生にSkebで描いてもらった自創作キャラもご覧になってください
セレスタ(『これは物語ではない』)
https://skeb.jp/@atanonata/works/1
Drive to Pluto メンバー3人
https://skeb.jp/@atanonata/works/4
明日未 (This Earth Is Destroyed)
https://skeb.jp/@atanonata/works/9
カシマ (環-Tamaki-) ←今日頂いた
https://skeb.jp/@atanonata/works/11
きっと、それは、神話の一環だったのだ。本当にあった伝えにくい現実を何とか伝達するために、別の物語を仕立てあげる試み。神話は素直に飲み込まなくてはならない。そういう次元の現実なのだ。桃から子供なんて本当は生まれないけれど、そういう言い回しを取らなければならない事態が、ある時期にきっと訪れる。桃に秘めた暗喩のことは後で知ればいい。今は黙って耳を傾けなければならない。小説『これは物語ではない』
昔々、写真がない時代、絵画は絵ではなく別世界に開かれた窓として機能していた。たとえば宗教と神話の世界を描いた絵はただの絵ではなく、額縁の向こう側には本物の神の世界が広がっているとされた。宗教の支配から王政の時代になって、絵画は権力者の肖像画という記録媒体になった。絵が絵として味わわれることはなく、絵は本物の神話世界・為政者・土地を引用するための窓だった。小説『これは物語ではない』
その後写真術の登場で、「本物の代用品」として用いられてきた絵は役目を終えて、「純粋な絵」として固有に自立した。しかし絵を見ている人はいまだに「絵」を紙や布で出来た物質だとは思わず、描かれている人や風景に対して、きれいだなどと感想を言う。風景画を見るときに、抽出されているのは絵の表面ではなくその向こう側に実在している風景だ。
風景画を部屋に飾ると、あたかもその風景を手中に入れたように満ち足りる。それは窓ではなく、窓の向こうに世界は広がらず、絵は空間ではなく平坦な紙か布か板の表面だというのに。
革靴が駅からのレンガ通りを軽快にはねた。タン、タン、タン、小気味良い足音に少女は満足する。タン、タン、タン、タン、タン。ハロウィンが過ぎると駅前通りは一転し、気の早いクリスマスの装飾をはじめていた。LEDを木々に巻き付ける作業員を横目に見ながら、タン、タン、タン、少女の眼は青空に向けられていた。十一月の澄みきった青空には雲一つない。北風が吹いて、ミニスカートの脚をすり抜けた。ロングマフラーに顔をうずめる。誰の手作りというものでもない。サイズの大きいカーディガンが手のひらをゆったり隠している。重ね着したセーラー服の上半身に比べ、ミニスカートとハイソックスが寒々しい。それでも少女は臆せず歩く。タン、タン、タン、タン。小説『これは物語ではない』
その言葉にはほとんど頷けなかったが、擦り切れて読むことのできない古の石碑のように、重みだけを受け止められた。『これは物語ではない』