でも、マジでそんなことがどうでもよくなったというか、「わざわざアクセスしにくくしたりわかりにくくする必要はないけれど、めいっぱいわかりやすく説明してるのにそれでも理解しなかったり、おもしろさに気付けない人にまで無理に届ける意味はないなと。そういう人は「ほれここ!」と指でさしてもう指のほうを見るだろうから。リンクはそこにあって、フォローすれば更新にも気づく。そこまでしてそれでも見ない人には何を見せても無駄だろうなと。
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
でも、マジでそんなことがどうでもよくなったというか、「わざわざアクセスしにくくしたりわかりにくくする必要はないけれど、めいっぱいわかりやすく説明してるのにそれでも理解しなかったり、おもしろさに気付けない人にまで無理に届ける意味はないなと。そういう人は「ほれここ!」と指でさしてもう指のほうを見るだろうから。リンクはそこにあって、フォローすれば更新にも気づく。そこまでしてそれでも見ない人には何を見せても無駄だろうなと。
あとみんなXのことを悪く言うけれど、一番コンテンツがまともなのはXだと思った。あれはインターネットの都会なのよ。そこここにホストの看板が飾ってて「女性の客引きによる詐欺に注意しましょう」という音声放送が流れる前を「もっと稼ぎたい!お金大好き!」高額バイト募集」のアドトラックが走ってる状態。これだけ見るとなんて終わってるんだと思うが、老舗の大型書店もあればヴィーガンレストランもある。そういうことなんだと思う。それに比べるとMastodonは田舎の地方都市。かろうじてイオンモールはあるがって感じ。
インターネットとオフラインの大きな違いは、都会から田舎へ一瞬で行けてしまうところ。リアルで都市部から田舎へ行こうとしたらどうしても移動時間がかかってしまうが、インターネットなら「田舎行き」のボタンがあるのでそれをタップするだけ。でも誰もほとんど移動しない。どうしてるかっていうと、タップしてから移動するまでに数秒間の遅延をもうけるだけ。それだけでみんな「ここ」にいてくれる。何より目の前で毎日「祭り」が行われている。ちょうど今、燃やされるべき生贄が燃やされていたり、燃やされるべきなのに生贄が燃やされてないことに憤って燃やそう叫んでる人たちがいる。そっちに目を奪われるので誰も他所には行かないってだけ。
あと、SNSは蓄積性や再利用可能性が全然ない、しにくいとも痛感。すごくいい投稿、ひっかかる投稿があったのでシェアしたりいいねしたり、ブックマークしたりして、自分もそこで思ったことをコメントしたとして。それはいいねされたりするんだけど、まったく覚えてなかったり、あとで検索で非常に見つけにくかったり。しかも、最近ではX、Mastodon、ThreadsなどSNS自体が「分散」してるのでどこに何書いたか忘れる。そこで逆にした。気になる投稿があったら、ぜんぶScrapboxにまとめる。それに対する自分のリアクションもそこに書いておく。そのリンクを(見せたいなら)各種SNSに投稿する。こうするとScrapboxに自分の過去の知見もたまっていくし、それらがキーワードによって相互にリンクされるから、特定のキーワードに関する素材がたまっていく。そうするとそのトピックに対する自分の思考の矛盾点が見えるし、構造化されるようになる。Scrapboxと同じ会社が提供しているGyazoってサービスもとにかくOCRがたいへん優秀で。すべて画像としていったんアップしてしまえば引用もしやすい。
ちょっとおもしろいなと思ったのは、SNSから距離を取れば取るほど自分の考えが右傾化していったということ。「右」って言葉を使えばそれだけで顔を顰めるのが昨今の教養のない「左」の方たちだと思うが、そういう「左」の方たちの明らかに不正解なあれこれが気になってきたので、そこからは距離をどんどん置くようになってしまったってことかな。SNSしないとしてる人たちの極端が極端に感じられる、つまりこれが「自分たち」が外から見えていた姿でもある。本当に世界を変えたいなら、そういう人たちから自分たちがどう見えていたのか、視点の移動も必要だと思うけど、どこまでいっても(しょうもない)「自分」しかない人にはそんなこと無理だろうね。私は天皇制に反対だから保守とも言えないが、保守に一定の合理性を認める知的素養すらない「左」が愚かすぎるとわかるくらいには右な左である。
映画『ハンナ・アーレント』を見たんだけど、そこでアーレントはユダヤ人指導部のホロコーストへの関与にも触れたことから、ユダヤ人コミュニティからボロクソに批判され、友人の多くから絶縁されるんだよね。今のSNSなんかもそうでしょ。事実としてこうだということを言ってもそれが少しでも「仲間」に不利に「見えた」なら、お前はヘイター、差別者だっていう。映画でアーレントもユダヤ人から「ナチ」とか「ドイツ人」と呼ばれてた。コミュニティに埋没して「思考」するとは、そのコミュニティのドグマを否定できないってことなんだけど、他方で独りで「思考」すると、師匠のハイデガーのようになる危険性がある(ナチへの関与)。どこでバランスを取るかってすごく難しい。
教養って無茶苦茶大事で、AC/DCの歌詞一つとっても、歴史から聖書から映画から知ってると知らないのとじゃ大違いなんだよな。
Let There Be Rock https://scrapbox.io/eyehatesns/Let_There_Be_Rock
Hell Ain't a Bad Place to Be https://scrapbox.io/eyehatesns/Hell_Ain't_a_Bad_Place_to_Be
チャックベリーのこの曲も必修でしょう。なんせ一番から「ラジオにこの曲リクエストしたから今日もまたこの曲が聴けるよ!」というメタ言及&ヴァイラルマーケティングの推奨っていう。1955年とかっすよ?
Roll Over Beethoven https://scrapbox.io/eyehatesns/Roll_Over_Beethoven
SNSの中だけで完結してリンクを踏むことないのはわかってんだけど、一応リンクはっとくね。親切。ハンナ・アーレント(映画) https://scrapbox.io/eyehatesns/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%EF%BC%88%E6%98%A0%E7%94%BB%EF%BC%89
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木綿のハンカチーフがなぜ「社会的な歌」なのか書いた。読めば読むほどこれはとんでもない歌詞だなあ……。
自分で言うのもなんだけど、いい話が書けた。文章はいい加減です。文章の「良さ」とかもういらん時代だろうなと思ってるし、反響良いものや気に入ったものだけ、あとできちんと書き直せばいいし。
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