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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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ミスキー?は「そういう思想」強い人たちがたまってる場所だと思ってるので、近寄ってすらいない。スタンプ一つ使えない自分のような、思想的に軟弱な人間には無理。
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「そういうの忘れて」くつろぎたいって気持ちはすごくよくわかるよ。
それと「反対する」ことがただちに、そして常に最も効果的な抑止方法だとは必ずしも限らないのではないかと疑念を持つのも非常に真っ当な発想だと思う。
そういう疑念を持たない人は、SNSという構造について何一つ疑問持ったことない人なんじゃないかな。
Twitter見ててもわかりますけれども。特に道徳的にセンシティブな話題で闘争が起こると、エンゲージメントが増加するんですよ。増加。つまり「ますます差別発言が増える」「反対する陣営の意見が増える」可能性がある。
人間には「天使」の側面と「動物」の側面があるので。「倫理的にこうするべき」という「天使」の話をそのまま実行したからといって、「動物」的には効果がない、という可能性は常に考えることができる。
目の前で差別発言があった場合、それを批判する、否定するのは倫理的に「するべき」ことだと思うけれど、他方でSNSで、際限なくそうしたやり取り、応酬をしていくことが、中長期的に見て、本当に最も効果的な抑止力になりうるのか、人間の心理的にそれが最適解なのかについては、自分は疑問を持つことが少なくない。
たとえば、子どもが間違ったことをしたとして。間違ったことをしたのだから叱るべきかというと、ただちにそうとは限らないわけですよね。叱られても「叱られた」という恐怖や怒りの感情で、自らの言動を振り返ることができない=学べないと言われてる。実際「叱る」は意味ないって考えるリベラルの人は多いのと違いますか。
それなのに道徳的な誤りを大人が実行した場合、ただちに「叱る」が「最善の策」と無反省に考えてる人が多すぎる気がする。
自分はやっぱりそれでもきちんと問題の発言が問題だと指摘していくことはとても大事だとは思っているけれども。ただ、攻撃的に個人に向けていくのは効果がないかもしれないし、ある程度理解がある人に向けてどういうふうに伝えていけばいいか、まだ考える余地があるんじゃないかなって。
もうそういうのが「イヤだよ」って人たちが集まってできた、でも「2ちゃんや5ちゃんみたいなアホーなノリは軽く楽しみたいよね」って人たちが「ライトに」集まってできたのがミスキー?だと思ってる。管理人の判断を支持するものでは決してないが、気持ちはとてもわかる。
大人相手になら叱るべき!っていうけれど、叱ってできるようになってる大人って見たことないし、それ、職場で同じこと、部下にする?って話じゃん。
「争いは疲れるからやめてほしい」みたいな話って、「争いがないのがいい状態」って思ってるから出てくるんだけど、「争いがない」ってのは「とっくに弱い者を踏んで制圧し終えた状態」でしかない場合もあるわけで、そういうことに無自覚な人間たちが「引き続き黙ったままでいろよ」と弱い者に強制していくのは、違うと思うんですよね。
まあそれと、攻撃したり叱ったり、強い言葉で非難したら、人はあっぷあっぷになって受け入れられないってのはそうなので、なるほどそうかーってんで、丁寧な言葉で話したり、真摯にメッセージを伝えたりするんだけど、でも、結果は同じだったりするよね.....。
実際、私が「あなたたち」に対して感じてる問題意識、多分「あなたたち」にどう言ったところで理解しないだろうしね。SNSで、ちょっと接点あるとかないとかの人から何か言われたくらいで簡単に人が変わると期待するほうがあさはかっちゃあさはかかもしれない。
むしろツイッターなんかはそういうのを「燃料」にして、それでイーロンマスクが儲けてる構造ですらあるわけでしょ。問題の発言があったとして、そこに批判や態度あらためるよう指摘はもちろんするんだけど、本当にそれが問題の解決につながってるのかって考えたことなかったらアホよな。
たいそうな理想を掲げているようだけれど、人間、そんなに高潔なものでもない。「それでも」Twitter【だけ】を使いつづけてる人なんて、とっくに矛盾してるし、商売上の理由とか、強い感情的な満足感のために、つまりは中毒だからやってるだけだと思ってる。
同意と共感と理解。どれも全部違う。同意はしないけれど共感はできるかもしれないし、共感すらできなくとも理解はできる。
「否定」しかできない正義なんて、ただの自己満足のアホですよ。
ちょっと考えてみてもらいたいんだけど、自分の職場で、①大勢が見ている前で、②強い言葉で、③明確にその人の劣っている点を指摘したらどうなるか。同じことをSNSでやって、相手の意見を変えるなんて無理でしょ。
私は「争いを持ち込まないでくれ」みたいなことをヘーキでいうような場所、大嫌いだし、主催者や管理人もあっさいと思ってますがね!!
だけど、ここでもどこでもTwitterみたいになってくんか?ってところで、ものすごく葛藤があるわけよ。ないバカ見てると、それもイラっとする。
あと、そもそもアカウントを作ってすらいない私がいうのもなんですが、「ダメだからアカウント消した」とか「コミット一切しない」ってどーなんですかね。
それ、間違ってないかもしれないんだけど、結局、あなたみたいな善良な判断を持った人が消えることで、その場がますます「争いが持ち込まれない」「セーファーじゃない」スペースになるだけ、要は管理人様の思った通りになるってだけでは?っていう。
別にわざわざイライラしにいく必要もないし、要らないものを持ち続ける必要もないけれど、「支持できないから使わない」が常に最善の選択肢になるとは必ずしも限らない、って発想は自分は大事にしたいです。
こんな場はクソだからやめる!って背を向けて行く人たちが背を向けることで、ますます場がクソになっていくというね.....。
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ほんとそう。もっと言えば「それが構造なんだよ、ってのがわかんないようにしてくれるのが構造」なんだよね。黙らせてくるのが構造だし、「黙らせてくるのが構造」なのだということが明らかにできないようにできないようにしていくのも構造。だから温存されていくのに、そういうことも理解できない、してない人が、場所の管理人ヅラって、ほんとあっさいなっていう。
以前noteの対応がひどいときにも、真面目な人たちが軒並み「アカウント削除しました」とかやってて。そういう人たちの言ってることに激しく同意するんだけど、そういう人たちがいなくなり、もう客として意識しなくてよくなった場所は、主催者からするとよりハンドルしやすくなってるだけだったりするよなと。
だから自分もTwitter、課金しようと思ったんですよね。課金して使いつづけて、ずっとそれでネチネチと文句言ってく感じにしようと。そしたら、快適性をイーロンが予想以上に壊すものだから、自然と使わなくなってしまった。
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耳と自律神経が本当にやばいので、ずっとイヤマフつけてるけど、むっちゃくちゃ落ち着く......。もうこれ、一生つけっぱなしでいいのでは? 音が聞こえにくいけれど、たいていの人の声は聞こえないほうがよかったりするので。
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お米をメスティンに入れる。あと、豆とクコの実、にんにく、まめのさや。牛ダシダとカレー粉。あと、別でヨーグルトと塩、カレー粉につけといた牛肉。ぜんぶのせて炊くだけ。
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「殺す」対象としての「バカ」に自分も入っちゃってんじゃん。
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別に「反差別」とかがウザいなら、そんなのがなくなるようにすればいいだけで、それは要するに「差別発言をしないように気をつける」のが一番なんだが。
まあ、前から雰囲気でわかってたことだけど、管理人の態度でがっかりすることは多いよね。だったら管理人なんかやらなきゃいいのに。できてないんだから。
オレらは細かいこと気にせず好きに投稿します、でも、それに文句あるやつらは黙っててくんないかなあ?黙らないならそれは管理人の私へのいじめ!って、もう無茶苦茶よな。
政治の話や人権の話ばかりは疲れる、ってのは自分も正直理解するよ。疲れるというか、そんな話だけ延々と、コミュニケーションツールとして機能させるようなあり方は、私は嫌いだ。が、一切その手の話をしないでね?ってのはそれもどうなの?ってなる。
政治の話や「反差別」の話【だけ】【ばかり】することを問題だと感じるのは、①政治的にはさまざまなつながりがあったほうが効果が高いのに、政治思想という人間の一側面だけで「つながり」がアレンジされてしまうからというのが一つ。それと②コミュニケーションツールとして「反差別」のようなトピックを使い続けていくと、そこに依存してしまう。結局のところ人間関係で顔色見て同じ意見持つ方向に収斂してしまう。
みたいな問題意識ある。
たとえば現実、実際いるわけでしょ。プロフに反差別とか書いて、それで女の人に「おっしゃるとおり」みたいなリプつけて回ったりとか。当たり前の話、反差別に反対なんかするわけないんだが、でも私はそういうところから、いちいちプロフに反差別とか、ポリティカルだけに偏ってる【肩書】を書いてく人は警戒してるよ。
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最近、本どころかSNSの他人の投稿もほとんど読めなくなったので、キャンプくらいしか楽しみがないのですが、そのキャンプもやろうとすると嵐、悪天候にばかりつきまとわれるので、いよいよ気力が失われつつあります。