03:19:03
2025-01-21 23:31:04 松浦知也 / Tomoya Matsuuraの投稿 tomoya@social.matsuuratomoya.com
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03:19:04
2025-01-21 23:43:10 松浦知也 / Tomoya Matsuuraの投稿 tomoya@social.matsuuratomoya.com
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03:30:21
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これは15年くらい前の上野学さんのブログ記事で、まあタイトルでわかるとおり共産党宣言のオマージュなんだけど、この記事が指摘しようとしている構造というのはシステムのオーナーとユーザーの間で利害の不一致があり、デザイナーがユーザー利益からシステムを提案するとコンフリクトが起きる。上野さんはそれを「闘争」と呼ぶんだけどこれは資本家と労働者の関係をシステム管理者とユーザーの支配関係になぞらえて、その力関係の逆転を試みることを「闘争」としているのであって、ここではデザイン活動とは弁証法的なものとして把握されている。
https://modelessdesign.com/modelessandmodal/2010/01/06/manifesto-of-the-modelessist-party/

03:39:42
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で、「デザインはもう融けた」という例の記事と比較してみると、けっこうおもしろいとおもっていて、この記事で「ユーザーが本当に求めている体験を提供できれば、自然と売上や継続率も伸びる」とある。この命題に真実がないわけではないが根本的に神話であって、「事業者/ユーザー/デザイナーの調和した関係」こそが売上だということ。この記事における「融ける」とはそういうことだが、この命題が神話であることはGoogleの Don't be evil とかどこいったんだっけとか思いだせばいい。スタートアップの初期を駆動する神話である。
https://blog.tsubotax.com/n/n00846669e259

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2025年デザインはもう融けた。|坪田 朋
03:45:51
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上野さんの記事と比較すると、「デザインはもう融けた」とはデザイナーのインハウス化ということがひとつある。このデザイナーのインハウス化というのがソフトウェア業界ではこの15年で進行していて、これは意味がない話ではない。デザインという活動が資本の活動にまるっと飲み込まれ、管理者とユーザーの弁証法的関係を完全に解消している。労使協調路線で御用労組になったのとおなじことが起きている。

04:07:10
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元の「融けるデザイン」はいい本で、「デザインはもう融けた」は本に対しては頓珍漢な記事でしかないけど、こうして口当たりよく解釈されるのも、そもそも「融けるデザイン」が弁証法的契機に欠ける以上はやむをえないところもあるとは感じる。

04:40:50
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しかし Designship に期待していないとはいえ、こうも安直に直線的な歴史観を披露し、そのなかに人類学とかコ・デザインとかを配置していくの、文脈をわかっていないというかめちゃくちゃスポイルしているんだけど、無意識なんだろう。れいによってこのなかにはフェミニズムもポストコロニアリズムも入っていないわけだけど、人類学がデザインを語りだした理由はまったく理解していなくてトレンドとして・技法としておっかけているだけなんだろう。
https://design-ship.jp/2024

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Designship 2024 | 広がりすぎたデザインを接続する、年に一度のデザインカンファレンス
04:43:44
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いま読んでいるエスコバルの「多元世界に向けたデザイン」、こういうところでは受容される地盤がそもそもない。

05:17:22
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ていうかこういうのを薄めると designship みたいになるわけか。

拡張するデザイン、もしくはデザインではない何かへ──「Designs for the Pluriverseを巡って:デザイン、人類学、未来を巡る座談会」前編
https://www.cultibase.jp/articles/4691

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拡張するデザイン、もしくはデザインではない何かへ──「Designs for the Pluriverseを巡って:デザイン、人類学、未来を巡る座談会」前編