著名人の性のトラブルがあったとき、性暴力があったかどうかみたいな焦点のあたりかたをすることがあるが、密室において合意があったかどうかの水掛け論になってしまってそういう方向の話じゃないのではといつも思ってしまう。
いつも問題だと感じるのは、たいてい社会的地位のある男性はその社会的地位を失わず(あるいはダメージが許容範囲内で)、若い独身女性のような人は数年、ときには10年単位で時間を無駄にすることがあり、この損失があきらかに対等ではない、ということが問題だと感じる。
著名人の性のトラブルがあったとき、性暴力があったかどうかみたいな焦点のあたりかたをすることがあるが、密室において合意があったかどうかの水掛け論になってしまってそういう方向の話じゃないのではといつも思ってしまう。
いつも問題だと感じるのは、たいてい社会的地位のある男性はその社会的地位を失わず(あるいはダメージが許容範囲内で)、若い独身女性のような人は数年、ときには10年単位で時間を無駄にすることがあり、この損失があきらかに対等ではない、ということが問題だと感じる。
浮気とか痴情のもつれとかいっていれば男性の社会的地位はそんなに揺るがないわけだが、女性はたいていの場合キャリア初期段階にあって、それが仮に恋愛関係だったとしても、損失が比較にならない。たいていは女性のほうがその業界や場を追われていて、男性はその業界に残る。
数日前に林道郎(元上智大学教授で、既婚者なんだが学生と10年くらいつきあっていた)についての記事を読みなおしていて、本人は「自由恋愛だとおもっていた」といっているのだが、正直言って頭沸いてんのかのかよと思う。林道郎が不倫でも自由恋愛でもどうでもいいんだけど、当時学生を10年つきあわせて、それで林道郎本人は最終的に結婚関係を解消しない。社会的な立ち位置が違いすぎるのに、「自由恋愛」だと述べてしまうのは、バカにもほどがあるだろう。林は失恋も本人の責任だと述べるのだろうか。
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