エスコバル開いている
フェミニストが言う家父長制って、男性がイエを管理する社会的な制度のことではなくてユダヤ・キリスト教的な一神教の諸概念を制度的に敷衍したものだとおもうけど、そうであるがゆえに家父長制のイメージに多様性があまりない。日本の天皇制が西洋の一神教的な家父長制を模倣したものであることは自明だけど、構造的には模倣しているがやっぱり別な存在として作られた家父長制ではあり、そのせいで(?)家父長制もまた多元的であると言ってもいいようにおもうのだが、そういう言説をあまり見ていない気がする。
西洋中心主義の批判であるうえでは西洋文明=家父長制としていればよかったんだけど、西洋文明が輸出されて別な場所で別の類似物ができてきたとき、それは「西洋文明」と名指されるべきなんだろうか。すくなくともそういう自認をしてこなかったからこその大東亜共栄圏ではあって。実態として西洋の覇権主義的な文明と帝国日本のなにが違うんだと思っても、家父長制批判が西洋批判と同一視される限りにおいて日本がするっと批判の網から抜けてしまうことがおうおうにあることは、ちょっと厄介だなと感じる。
おもしろかった
人はスマートシティにもパンジーを植えるのか?テクノロジーに飲み込まれた第三風景にも抗う「亜生態系」:連載「スマートシティとキノコとブッダ」ゲスト:山内朋樹
https://note.com/cityfungibuddha/n/nfb59b83f256f?sub_rt=share_pw
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