00:48:07
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悪い場所とかさっさと解体しないとだめなんだけど、まだ生き残ってるのどうにかしてほしい

00:49:35
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@seki_takanao 中嶋さんの椹木批判ってアンチアクション?

01:37:01
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5年間いちども車にのっていないのに違反切られて講習区分一般になっているのクソすぎる。

03:13:25
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けっこうおもしろかった https://critique.aicajapan.com/7899

四つん這いになって懸命に床を拭くユケレスにこそ、ポロックとは別の「水平性という状態の「低級さ」」を見て取ることができるはずだ。

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【特集】「掃除をするのもアート––––ミエレル・レーダーマン・ユケレスから見た1970年代の政治と芸術の可能性」菅原伸也 - 美術評論+
03:24:41
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「汚す」行為がマチズモの現れだとするのは、メンテナンスとの対比で言っていて、おもしろいのだけど危ういとはおもう。「汚す」「汚れる」にもバリエーションがけっこうあるとおもうが、「ジェンダー化された労働」との対比として「男性的なもの」の単一性に回収されていて、それはそれで問題がある(部屋の汚ない女性は「男性的」なのだろうか?)。

03:33:17
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減税はしてほしいのだけど、積極的に減税を語る人間が差別主義的な発言をしがちできつい。

03:41:13
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@seki_takanao ありがとう、読んでおきます。アンチアクションはよ再版してほしい。

03:57:53
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東浩紀が、10年前のゲンロンの批評特集では、女性の批評も俎上にあげられていないし出席者が全員男性だった、それは自分がバカだったからだ、それを誤魔化すつもりはない、いまならぜったいそうはしない、と言っているのめちゃくちゃ健全な反省だよな...。

04:00:17
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10年くらい前って、自分も東浩紀とおなじで、べつに男性中心主義的な空気に強い異議を唱えるなんてことはなかったよ。そういうもんだとおもっていた。

04:08:15
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@seki_takanao ぜひぜひ。

04:12:58
2024-12-20 03:39:13 関貴尚の投稿 seki_takanao@fedibird.com
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04:19:02
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おもしろい。

日本戦後美術のジェンダーを考える
https://meigaku.repo.nii.ac.jp/records/141

ぜんぜん別というか個人的な関心事なんだけど、明治〜大正期にかけてけっこう女性画家がいるのだがあまり調査されておらず、どういう背景から登場したのかが議論されるどころか議論の土台がまったくない。議論の土台がないがゆえに、明治大正期には画壇は女性差別的な構造をもっていたから女性画家はでてこなかったとするフェミニズムの美術史語りが通用してしまうことすらある。それ自体転倒そのものなんだけど、構造的でないように見える事象って無視しがちなんだよな。

中嶋の議論が、戦後の女性アーティストが群をなして登場したことが、一見構造的ではないように見えることについてけっこう詳しく検討していて、議論の立て方そのものが参考になる。

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明治学院大学機関リポジトリ
04:30:55
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さっきの菅原論考と比較していいかというとあれだけど、菅原が男女二元論に捉われてしまっているのに対して、中嶋は男女二元論を前提としつつ作家がその男女二元論性とどういう距離感をとっていたかを明らかにしている。「男/女」はベタな前提ではなく、「男/女」という割り当てにたいして作家や批評家がどういう態度だったかが問題化されていて、こっちのほうが適切に議論を組みたてられるよなとおもう。
https://critique.aicajapan.com/7899

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【特集】「掃除をするのもアート––––ミエレル・レーダーマン・ユケレスから見た1970年代の政治と芸術の可能性」菅原伸也 - 美術評論+
04:41:42
2024-12-20 04:32:21 サトマキの投稿 satomuch@fedibird.com
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04:41:43
2024-12-20 04:37:26 サトマキの投稿 satomuch@fedibird.com
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04:43:18
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セトラーコロニアリズムとの関係で、アーレントが近代国家は土着農民階級が主体となってできたものだと論じていた記事を思いだしているけど、もう頭が働かない。
https://note.com/nikkyo/n/n7ca4852c143a

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アーレントとアラブ人問題|日居月諸
04:43:39
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アーレントは民族的帰属は、ある土地にある人々が定住し、そこを耕作することで人間の住める場所に作り替えてこそ萌芽するものであり、やがて子孫へとその土地が受け継がれていくことによって育まれるものであると考えている。ありていに言えば、民族的帰属は先祖から子孫へと脈々とつづく農業によってこそ成り立つ。

04:50:48
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アーレントの言う通りだとすれば、収奪された土地にできた国家は近代国家成立の要件を満たしていないように思う。

05:36:55
2024-12-20 04:57:48 nofrills♥️🖤🤍💚の投稿 nofrills@ohai.social
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05:58:58
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菅原論考の問題点は、「汚す」行為を「男性的なもの」とすることによって、「片付ける」行為を「女性的なもの」とすることにあり、これ自体が遂行的に特定の行為をジェンダー化することになっている。「男性性/女性性」はここでは自明に存在し、かつ論考はそれを強固にしてしまう。
中嶋論考の例を出せば、具体の女性作家が幾何学的抽象を好んだという事例を挙げて、「幾何学抽象の世界は、合理性、科学、客観性によって支配される「男性的な領域」であると一般的に受け入れられてきた」ところに、田中敦子らがこういった様式を好んで用いたことをもって、ジェンダーを攪乱するよう振る舞った事例としている。