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全共闘の分裂を決定づけた華青闘告発(1970)、全共闘的な運動が植民地主義に向きあっていないという華僑学生による告発があるけど、これ単一だとおもっていたアイデンティティが、集団内部で馴らすことのできない多様なアイデンティティをもっていて、「労働者」みたいな単一的なアイデンティティだと、実はそこに隠れた前提があり(全共闘の場合は「日本人」というのが隠れた前提)多様性を踏み潰してしまう、みたいなことになるのかなと。
藤高さんの「バトラー入門」読んだときも、おおむねの流れの理解としては上記とおなじで、ようするに「女」という単一のアイデンティティでほんとに多様なる性が包摂されるのか?というのが第三波フェミニズムの始まり、と理解している。
https://amzn.asia/d/hdjCfTF
共産、社民、公明が後退したって、戦後社会において、労働組合と宗教が弱者の社会的な包摂という機能をもっていたのが(それもかなり具体的な機能)、そういう集団機能そのものが弱体化しているということでは
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マンションとかって購入しても、土地への愛着がかなり薄くて、数年経過したときの販売価格とか考えて買ってしまうわけだから、コミュニティは育たないんだろうな
労働市場の流動化とセットの現象だという気はするけど
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「あなたの問題は貧困だ」って言い切って票を伸ばしているのがれいわで、社会参加意識の欠如につけこんで疑似社会参加させる宗教が参政党ですよね。労働組合と宗教の後退と符合する。
ここは共産党がアプローチすべき対象だし、原因が雇用流動化であると把握する以上、正規雇用への転換という共産党の政策上の主張は正しいんだけど、まったく伝わっていないわけですよね。共産党はただのリベラル政党にしか見えていないし、そう見えているからいくら「労働時間短縮は賃上げとセット」だと主張したところで、経済的に安定したリベラルのたわごとみたいに見えてしまう(上野千鶴子がそう見られているようなあれ)。
「傘がない」の社会より眼前の雨のほうを気にしているという解釈、筑紫哲也がそういうこと言ってた気がするとおもって調べたらあった
https://www.tapthepop.net/era/78913
>「あの曲は“足払いの歌”なんです。天下国家を鹿爪らしくいう世の風潮に対する足払いなんです。」
>「天下国家に降りかかる様々な問題をもっともらしく論ずる風潮に向かって、同じ“天下”でも陽水の歌は、天から下りてくる雨の方が問題なのだと“足払い”をかけているんです。僕はそんな表現法にとても共感を覚え、感心しました。」
「氷の世界」もいいですよね
「窓の外」に演劇的なリンゴ売りがいて、メディアを媒介した「外」の世界にリアリティを感じられない。
https://www.uta-net.com/song/1898/
「傘がない」も、「君」に会うことが大事なのではなくて、「君に会うために雨に濡れる」ということのほうが重要で、そこにリアリティの欠如を埋めてくれるものがあると信じている。だけどじつは「君に会う」ことにも「雨に濡れる」ことにも、対比的に良いことがあるとおもうだけで(「それは良いことだろう?」)、信念はない。
空っぽさが、「雨に濡れる」ことと「君の事」だけで埋まる(充足する)ということが重要なんだけど、べつにその充足にもなんの意味もない
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家にいる説、説得的だ
家にいることがメディアがフィクションを語る条件だし、メディアへの懐疑から家から出たいという欲求をもっているけど、傘がなくて家に閉じこめられることによって、いまだに新聞を読んでしまっている
氷の世界も家に縛りつけられているくせに「寒い」という感覚について話しているから同じ構造なんだな
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「傘がない」で「君」が実はいない説めっちゃウケるなっておもったけど、アルバム「氷の世界」の冒頭が「あかずの踏切」の次のような歌詞を読むと、あながちギャグではない
> 踏切りのむこうに恋人が居る/あたたかいごはんのにおいがする/ふきこぼれてもいいけど/食事の時間はのばしてほしい/ここはあかずの踏切り
https://www.uta-net.com/song/6910/
陽水は、恋人があたたかいごはんを作る世界からは「あかずの踏切り」によって切断されている。恋人はもう想像上にしかいないわけで、「傘がない」で「君」がいなくてもおかしくない。あたたかさ/冷たさもアルバムの世界観として対比しているとすれば、「傘がない」で「君」へ至る道が「つめたい雨」によって遮断されていて、到達できないものとして描かれているという解釈もネタ的解釈といえない気がする。