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チャゲアスがサブスク解禁されたので、SAY YESを聞き返し、その歌詞について考えてみました。矛盾だらけのこんな歌詞が大ヒットした往年の日本......。
君に逢いたくて逢えなくて寂しい夜に「このまま二人で朝を迎えていつまでも暮らさないか」って言ってるの笑ってしまう、誰いるの
整合的な理解としてはそうなんですけど、歌詞のあいまいな表現からそう時系列を整合させるように想像する習慣はどこから来るんですかね
あまりにメロディが素晴らしくよどみがないので騙されるんですよね。甘ったるい恋人どうしの歌のように思わせて、実は非モテの勝手な妄想だとしても完全に筋が通るという。
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食していこうとおもいます。
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しかし本当にSNS、投稿が読まれなくなってる。逆に時事ネタや炎上ネタに言及しようものなら簡単にいいねもフォロワーも稼げてしまう。でもフォロワー稼いだところで特に意味はそんなにない。なぜなら誰もフォロー関係で投稿など見ておらず、アルゴリズムのおすすめで見られるかどうかが決まるから。そしてこれから先、AIを噛ませるようになれば人ではなくAIが先に「アルゴリズムによってフィルタリングされた投稿からさらにフィルタリングして」くれる。ますます「人に読んでもらう」が難しくなっていく。
しかし、そんなにまでして「人に読まれ」て、だから何なのかとも思うし。読んでくれる人のほうが、AIなんかよりよっぽど無思考で自動化されてたりもするわけで。SNSがどうとかって時代は完璧に終わってて、でも、今後「人に何かを伝える」ってどういうことなのかって再考せざるを得ないというか。
自分自身がこの「機械みたいな振る舞い」の外部にいるかどうかは、わからないとしか言いようがない。振る舞いって外から観察するものだし。