このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
せやなぁ…
💬
なにしろどうかするとGDPの半分以上が軍事に行ってしまうお国柄で、戦争をやらなければビンボなだけなので、「持っているものは使おう」ということだったのでしょう。
ほぼ国民が一致して戦争をやることは良いことだと信じていた。
それが衆愚にすぎなかったのがわかったのは、戦争にボロ負けして、食うや食わずの数年が終わったあと、来し方をふり返る余裕がやっと出来て、峠で過去を振り返った、やっとその時でした。
日本人は、そのとき、全体主義よりももっと恐ろしいもの、「誤解された民主主義」こそが自分たちを、あそこまで徹底的に破滅させたものの正体だと気が付くべきだった。
せやなぁ…
💬
畳の上の水練だけでは泳げない人間が不要な世界とは、人間性が価値をもたない世界だからで、そんなものは、あんまり見たくないなあ、というのが、正直な気持ちです。
核開発とおなじことで、いちど動き出した科学者たちの手は、誰にも止めることは出来ないのだけれど
実際に AI にメールの添削をしてもらって、もうちょっと俺のこの機械的な文章を人間味のあるかんじにして、とか頼む時代が来てみると、ガメさんの言うことの方が正しかったなこれも。
💬
前にこのブログの記事でカリフォルニア大学バークレー校で行われた実験と人間の「自由判断」が潜在意識がくだした決定の追認にすぎない可能性について書いたら「人間の意識が受動的だなんてバカなのではないか。おまえなんか心理学の知識ゼロのくせにヘンなことを言うな」と激昂したコメントを送ってきた人が複数いて、なんでそんなことで激昂するのか判らないので「ヘンな奴」と思ったことがあったが、行動心理学の権威と脳神経学の研究者であると述べるその激昂した「研究者」のひとびとには悪いが、へーぜんと述べると、人間の自由意思自体がパチモンであるというのは依然として正当な疑いなのであって、
その場合、便宜的な解決にしか見えなかったワープロ的「簡易データベースとしての知能」としての知能が案外と真実に近くて「創造性」のほうがバグである可能性まである。
「思考」という語彙が曖昧ならば「判断」という言葉になおしてもよいが、人間の「判断」は案外と、それまで考えられてきたような神秘的な働きではなくて、枚挙的で手続き的なものにしかすぎない可能性はかなり大きい。
💬
本をたくさん読む人に多いが教室の天井から降ってきた教科書的な知識や修辞を自分の思考であると「錯覚」して自分の意見であると述べる人はたくさんいる。
💬
知力が劣る人間の特徴は観念が暴走して現実と照応しなくなってしまうことである。
おーこれは熱い
💬
西岡研介(ノンフィクションライター)
【視点】上西先生がコメントプラスで呈されていた疑問について、僭越ながら、かつてはインタビュイーの前編集局長と同僚だった「元神戸新聞記者」からお答えさせていただきます。
まず、知事選を取材していた県庁担当記者をはじめ、神戸新聞の現場の記者たちは「街頭の異様な雰囲気」をそれこそ肌で感じていました。また、それを「報じる必要性」も強く感じ、カイシャにそう求めていたと聞いています。というのも、記事にもある通り、知事選をめぐる署名記事で、SNSや取材現場において、実際に攻撃を受けていたのは、他ならぬ彼ら、彼女ら自身でしたから。
では、なぜ、そうならなかったのか。先生が疑問に思われている通り「報じる必要性を彼らは感じていたがデスクが止めたのか」?
確かに、現場の記者たちが、その窮状を訴えるのはまず、直属のデスクです。が、デスクらは「現場の訴え」を「止めた」のではなく「事実上、放置していた」というのが、私自身の印象です。
しかし、今回の問題の最大の責任は、当時の神戸新聞編集局トップだった前編集局長にあります。彼が、これら現場の声に耳を傾けず、自省の弁にもあるとおり、「公職選挙法148条を勝手に拡大解釈し」、旧態依然とした「選挙報道」に拘泥した結果が「沈黙の50日」でした。
この記事を読んだ、神戸新聞OBの1人はこう言いました。
「彼は『私は何てことをしてしまったんだろう……』などと言ってますが、彼が嘆くべきは『私はなぜ、何もしなかったんだろう』でしょう。
さらに、自省の弁を述べるなら『事なかれ主義で、臆病で、これまでやってきた通りのことをやれば嵐は過ぎ去るんだと、事象を矮小化して、負担をすべて現場に押し付けてしまいました。現場の記者の皆さん、読者の皆様、ごめんなさい』ではないですか」
もっとも、知事選後、神戸新聞では、知事選報道を検証する連載も始まりました。が、これも前編集局長が主体的に始めたものではなく、現場の記者たちの突き上げに耐えきれず、一部のデスクから、前編集局長に対し、一連の知事選報道の検証を求める直訴がなされた結果だと聞いています。
最後に。小山君よ。ほんまに「私は何てことをしてしまったんだろう……」やないよ。現場の記者たちが悲鳴を上げているのに、編集トップの君が彼ら、彼女らの声を聞き、組織として彼ら、彼女らを守り、闘わなかったことが最大の問題ですよ。
おまけに「知事選を経て、ジャーナリズムを強く意識するようになりました」って……。じゃあ、これまでの34年、何を考えて、記者やってきたんや?
「いまは踏ん張りどころです」って……アホか? 現場の子らはとっくの前から踏ん張っとるわ。踏ん張らなあかんのは、君や! もうちょっと、しっかりしてくれよ。元同期!
https://digital.asahi.com/articles/AST5235K2T52PIHB005M.html
この国力の減衰は、我々が安倍晋三の“アベノミクス”を国民こぞって(ネトウヨからはてなインテリまで)十年間も支持し続けたことの、直接の論理的帰結だ、ということは、肝に銘じとかないといけない。と思う。
💬
安田峰俊(ルポライター)
【解説】時期は伏せますが、つい最近、特殊詐欺拠点で知られるカンボジアの某地方都市に滞在したことがあります。
こちらの中華料理店などで中国人と雑談すると、開口一番に尋ねられたのが「お前はどこの園区(詐欺拠点)で働いてるんだ?」でした。
ジョークや反日感情からではなく、ごく当然に、日本人は詐欺に従事する存在として、この街の中国人(もちろん彼らも表向きの仕事はともかく詐欺やマネロンと何かしら関係あるわけですが)から受け入れられているようでした。
※ちなみに私は、中華系詐欺拠点の中国語通訳と間違えられたので、そのまま話を合わせておきました
他にも、昨今は東南アジア諸国における日本の「反社」(準構成員的なビジネスマンなど含む)の進出や女性セックスワーカーの出稼ぎも、極めて活発です。カネを持っている中華系黒社会との繋がりも強く疑われますし(というか一部は間違いなくそう)、詐欺拠点問題と三位一体の話でもあるでしょう。あくまで個人的な実感ながら、「売り飛ばされてかわいそう」みたいなゆるい解釈だけでお茶を濁せる段階はとうに超えていると感じます。
こうした状況は、日本の国力の衰退を反映したものとも考えられ、今後いっそう拡大するのではないでしょうか。
日本はかつてカンボジアの復興に多大な貢献をなし、また今世紀初めごろまでは日系ブランドの信頼性が極めて強固で、現地からリスペクトされる立場にありました。しかし、ここ5年の情勢は、ヤクザと売春婦と詐欺スタッフの輸出国…みたいになっている部分が確実にあります(経済的に困窮した旧大国が、マフィアや売春従事者を海外に輸出する構図として、ソ連崩壊後のロシアを連想していたりします)。これは誇張やレトリックではなく、現地の裏側を見る限り、一定の事実として指摘したいところです。
私たちの先人が戦後の東南アジア各国に築いた遺産は、現在消え去る過程にあります。
取材者としては非常に興味深いテーマではありますが…
https://digital.asahi.com/articles/AST5R1FRKT5RUHBI00DM.html
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。