いいかも
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今回は世界によって、言い換えれば日本語世界が「社会人」に強制する習慣によって、追い詰められたきみに向かって書いています。
日常の感覚の範囲内で「困窮している」とかいうのではなくて、世界との関わりにからめとられることによって、希望を奪われたひとびとに話しかけようとしている。
孤独で、誰かと話したくて、ネットに入っていくのは、当然のなりゆきだとも言えるけれど、解決になるのは稀なんですよ。
もうほんとに自分を囲繞する世界に追い詰められてしまったら、自分とだけ対峙するのが最も良いようです。
自分探し、というが、自分を探すんだったら、世の中をうろうろするより、自分とだけ向き合う、あの生きながら踏み込んだ地獄のような明け方までの時間を過ごすのでないとダメなんですね。
いろいろな仕事を試してみたって、滅多なことで自分となんて会えません。
気休めと自分への猶予にしかならない。
ひとつだけ、ものをつくる以外に有効な孤独をすごす時間があるとしたら、それは、自分が心から信頼する、というか、簡単に、好きな、作家の本を読み続けることです。
何度も読む、のでもいいかもしれない。
それが「宗教」や「哲学」という名に分類されるものであれば申し分がない。
一ヶ月、缶詰でしのいで、飢えながら、
ちょうど19世紀の南極越冬隊のように、生き延びることを目指して過ごすのは、ある種族の人間の人生を変えてくれます。
変わるのは、ほんとうは人生でなくて、きみ自身なんだけどね。
ここから先は、到頭ガメは狂った、と言われそうだが、
聖書を読むといいかもしれない。
コーランでもいい。
法華経でもよさそうです。