ぜんぶみた
少年かわええ☺️
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これは MTB 担いでくかんじじゃねーな
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言われてみればそうかも
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もちろん、「ものづくりを誇る」ような日本人などは、どうでもいい。
そんな勘違い人間は、世界にも、掃いて捨てるほどいます。
ものづくりは、本質的に誇るようなことを拒否する行為で、むかし、日本の中世には源俊賴という、素晴らしく引き締まった筋肉のような日本語を書く文筆家がいたが、この人が述べた「物狂い」という言葉ほど、墨子教団にも似た、日本人の本質を言い当てていた人はいないようにおもえる。
「物狂い」とは、狂っているのではない。
狂っていると仮想した精神状態のなかで、ものを生み出す作為的な心理状態のことです。
現実の狂気というものがいかに凡庸なものかは、狂人の巣窟と化したホワイトハウスを見れば判る。
仮構された狂気だけが、創造を生み出す。
せやなー
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国民性にも気質というものがあるとすれば、日本人は、母語とする言語の影響によるのか、明らかにアスペルガー族で、ASDやADHDと分類される種族に属している。
堀江貴文さんや西村博之さんのような、ほぼ典型的なゲーマー族が、やや異様なほどもてはやされるのは、つまり、憧れて、はやし立てる本人たちのほうは、アスペルガー族だからでしょう。
もう最後に住んでから、15年も経っているが、自分が大好きだった日本をおもいだしてみると、西洋社会ならパブかどこかでぶん殴られて叩きのめされそうな、一部の、なぜか自分が優れた人間だと思い込んでいる、知識人気取りの冷笑的な人間と、こちらは社会の大部分をなす、理不尽なほど我慢に我慢を重ねて、与えられた過酷な生活を、たいして不満にも思わず、同胞からまで「羊」と罵られながら、そうなのかなあ、おれは羊か、と自嘲気味に鏡を見て、自分自身にさえ聞き取りにくい微かな声で、心の中で、おれだって、こんなふうに暮らしたいわけじゃないよ、とつぶやいている、なんだか控えめを通り越してパッとしない、それなのに、ふと、なにかの折りに言葉を交わしてみると、びっくりするような知の光の輝きを見せる、「日本人たち」が住む場所として思い出される。
まったく異なる言い方をすると、手の付けようもない大嵐に見舞われた海のまんなかで「ものづくり」という錨を大急ぎで投げ込んで、なんとか人間性の沈没から逃れようとしている世界は、いまこそ、日本の人を必要としている。
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