夜汽車ちゅーのはいいやね
>逆にいえば、そういう時間がなければ、頭のなかが価値の測定がされない事物や事象でいっぱいになって、ただ闇雲に攻撃的になるか、訳も判らず従順になるか、どちらかでしょう。
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そうなんやろな
https://x.com/gamayauber01/status/1747166896095658212?t=wOI2q59ZKi8C1ONqi1rpWA&s=09
海や湖でのボート/ヨット遊びは、ビンボ人の夏の楽しみの代表的なもので、いよいよオカネがなくても(わしがむかし乗っていたような)オンボロヨットもあれば中古カヤックもあって、例えば自転車乗り遊びよりは遙かに安い。
こういうことをいうと、また嫌われるが、ゴルフやヨットがオカネがかかる遊びだというのは、社会として寂しい感じがする。
海や山で遊ぶのにオカネがかかれば、自然と若い人は都会に集まり、地方は廃れるしかない。
自然で遊ばないのなら都会のほうが面白いのは当たり前です。
わし観察によればNYCでもロンドンでも都会の人間は、やはり多かれ少なかれ頭が少しいかれている。
「自然」という絶対のメートル原器がないので、自分が絶対基準から、どのくらい離れた場所で思考しているか判らないのでしょう。
” All work and no play makes Jack a dull boy.”という日本でも有名な決まり文句は、「勉強するときはしっかり勉強し、遊ぶときはよく遊ぶべきだ」という意味では全然なくて、(自然のなかで)遊ぶということの重要さのほうに力点があるようです。
例えば日本では操艇に小型船舶免許、海上VHFに無線免許が必要だそうだが、はっきり言う、バカげている。
コントロール・フリーク文化躍如です。
そんなものまで規制する社会では人間の考えからも自然に規制されてしまう。
実際に森のなかで、ひとりでテントを張って夜を過ごせば、漆黒の闇の海上で、アンカーライトだけを灯して錨泊すれば、否応もなく「個人/人間としての感覚」が戻って来ます.
逆にいえば、そういう時間がなければ、頭のなかが価値の測定がされない事物や事象でいっぱいになって、ただ闇雲に攻撃的になるか、訳も判らず従順になるか、どちらかでしょう。
悪いけど、そういう場所に民主制を持って来ても、
樹脂で出来た食品サンプルのように、見た目はホンモノよりもホンモノらしいが、ただ展示用のものになってしまうのだと、日本にいるあいだに、なんども考えました
ほんとクソだね
日本の公安警察(=外国でいうところの秘密警察)
>
大川原化工機事件の捜査を指揮したのは警視庁公安部外事1課の宮園勇人警部(肩書は当時。以下同じ)だった。「海外の“あるべきではないところ”で大川原化工機の噴霧乾燥器が見つかった」と事件の構図を描いた。公安部は30人規模の捜査チームを結成した。
捜査チームの一員で宮園警部の忠実な部下の1人・安積伸介警部補は立件に向けて「捜査メモ」や「聴取結果報告書」を大量に作成した。
安積警部補は、大川原化工機の島田順司取締役に、殺菌の解釈を誤解させたうえで供述調書に署名捺印するように仕向けた。島田氏の逮捕直後の「弁解録取書」を作成する際、島田氏の指摘に沿った修正をしたように装い、実際には島田氏が発言していない内容の同書を作成し署名捺印させていた。
大川原化工機「冤罪事件」、国と都がまさかの控訴 捜査・立件を主導した「渦中の人物たち」の今 | 経営 | 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/727782?page=3
電書だと子供に残せないとか勝手に読むみたいな経験をさせられないのがなんかなぁと思いますね、子供いないけど……
ええやないか
「池袋~新大宮バイパス」直結に前進!? 練馬の「平和台」地下トンネルが開通へ 環八をスルー可能に | ポイント交換のPeX https://pex.jp/point_news/70ba0303d9e0fc4c3516f6e8a593e4b6
先取権
研究者同士でも有りがちやな
言われてみれば
https://bookmeter.com/reviews/101352830
リアルタイムでここに出てくる当時のマンガはほとんど読んでるんですけど、「風と樹の詩」が出てきたときたしかに「まーたこれかーい」と思ったのは本当です。パクリとは思わなかったけど、二匹目のドジョウの感じ。昔からひとつ流行るとスポ魂だらけになったり格闘モノばかりになったりあるじゃないですか。
風と樹の詩とトーマの心臓の発表順が逆でもそう思ったと思います。確かに中身は全然違うんですけど、見た目というか、思春期前半の少年は同じなので。
これ
言われてみれば…
よー読み込んどるな。
「一度きりの大泉の話」を新聞記者が読んだら(小原篤のアニマゲ丼)
https://www.asahi.com/articles/ASP5642NVP54UCVL01J.html
この本には萩尾さんのマンガが1本だけ収録されています。1974年発表の短編「ハワードさんの新聞広告」。大泉で出会い99年に亡くなった友人・池田いくみさんの作品を原作として、傷心の海外旅行中に描いたもので、大泉が生んだ共同制作ですから本書に載せる理由はそれで十分なのですが、ラストのコマを読んでまた「ングッ!」となりました。高慢なお金持ちの老人ハワードさんが自分の誕生日パーティーを開くが誰も来やしない。みんなが祝ってくれると思い込んでた彼はショックで「ああんあんあん」と女の子のように泣く。そこに(作者が)添えた言葉。
「ねえ だれか 来てあげて このさびしい パーティーに」
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社会にとって不都合だから僻地の人間は街に移住させるのが当然なら、人口過剰な東京の人間は地方に移住させて個人の意思も都合も全部無視して社会運営に理想的な人口バランスを実現するのが当然だろ。
これだけ言わんと自分の言ってる事の酷さわからんか?(これでもわかんねえだろうけど)