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荒サイ!ちょー久々

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スパークちゃん無事でした😁

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研究会ゆーたらこれをやらねばな
国際親善

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さいたまにこんなオサレな

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バンタルァイスとな

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なんでや
別にいいじゃんね

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秋ヶ瀬橋!

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今日は埼玉大での研究会に呼んでいただいたので1時間半ほど走って行こうかと

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これとかもよく見てるなーと思った

amazon.co.jp/gp/aw/review/B07Z
この本のコアを何処に見るかは読者によって異なるかと思いますが、個人的には『ファラオの墓』執筆の過程が一番面白く、内容や文章の躍動感も含め、本書の白眉ではないかと感じました。
その前段階に『風と木の詩』を世に出すための煩悶があり、そこに関わる形で、萩尾氏の恐るべき才能に対する嫉妬の件が出てくる、というふうに読めました。

本書を読めば分かることですが、竹宮氏が所謂「少女漫画革命」を志したのは増山氏と共にであり、驚異的な存在ではあっても、萩尾氏がその同志的・中心的位置付けで登場していないのは明白です。
また、萩尾本で克明に記されていた絶縁の契機となる事件が一切出てこないまま過去を美化するかのような欺瞞に対し、激怒するファンが後を絶たないようで、こちらのレビューにも押し寄せているようですが、本書にそれを求めるのは酷であるように思います。

論文でもそうですが、自分があたためてきた主題や問題設定を「一番最初に世に出せるか」否かというのは、時としてその後の全てに関わる位絶対的な意味があり、それを完璧な形で先取された時、人はどういう状態に置かれるでしょうか。
(実際、萩尾氏も御自分の著書の中で、『トーマの心臓』や『あぶない壇ノ浦』が、それぞれ『風と木の詩』、『吾妻鏡』に先行して発表された作品であることを、印象付けています)

また、両書を拝読する限り、当時の竹宮・増山両氏にとって「少年」「愛」が、漫画家としての存在そのものをかけて問うべき<主題>だったのに対し、萩尾氏にとって「少年」は、人間、そして自由という根本問題・真の花を描くための<モティーフ>に過ぎなかったのではないかという意識の差を感じました。

(それ故、と言えるのかは分からないものの、竹宮作品は恐らく当時の時代性と切り離しては捉え難い側面がある一方で、萩尾作品には時代を超越した普遍性が備わっているように思われます。)

そして、その差はとても大きなものであるように思え、第一に先取、第二に自分たちの主題に対する或種の軽視という、当時の竹宮・増山両氏にとっては二重の禁忌が犯されたように感じられたのではないか、と読めました。
無論それらによって、当時の両氏による、萩尾氏の純然たる創作への非難を正当化することは決して出来ないものの、沈黙までもが批判されることとは思えません。

レビューが本書の内容からはそれてしまいましたが、この作品には、著者が若かりし頃の時代の息吹と、過去のものとなったその時代に得た学びを次の世代に繋いでいく現在の著者の視点の二つが、鮮やかに記録されているように感じられました。

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まー東大に入るなんていうショボイ喩えはどうかなと思ったが(東大生なんて毎年何千人も量産されてるけど竹宮惠子と萩尾望都は表現の一分野で確実に歴史に残る、歴史をつくった、誰にも替えの効かない二人の英雄だからな)、こんくらいの優しさは持ってたいよね。我々凡人としては。


お互い別種の才能を持っている2人に双方のファンがマウントを取り合うようなレビューが悲しすぎる。
特に若き日の自身の「しくじり」を素直に吐露し残された人生の最後のわだかまりを何とかしたいと書いた本を「一方的に先方に送りつけた」という言い方には悪意を感じる。
本書は「萩尾望都が男だったら結婚したいとまで考えた」ほどその才能を認め続けていた相手へのある種のラブレターに近いものを感じる内容です。
今更ながら自分の気持ちを相手に知って欲しかった、ただそれだけの素直な気持ちでしょう。(結果フラれてしまいましたが。)

晩年になって和解したいと思った竹宮先生の気持ちを考えると当時やってしまった仕打ちの是非は脇に置いても切なくなってしまう。
人はいつも正しく生きているわけではない。
人はいつも誰も傷つけずに生きていけるわけではない。そして傷つかずに生きているわけでもない。人はそんなに強く生きれるわけでもない。ましてや20代そこそこの頃の話。
「ライバルと呼べるほど竹宮の才能なんて萩尾先生の足元にも及ばないものだ」とばかりに50年近い前の出来事について外野があれこれdisっているが俯瞰で歴史を見ればその後の竹宮先生が少女漫画史に果たした役割をいったい誰が否定できようか。
今回萩尾先生の返答は竹宮先生にはかなり厳しいものになったが永久に黙殺されるよりは傷ましくも輝かしかった大泉時代の青春の総括がされたということでは竹宮先生もある種納得されたのではないだろうか。