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@Panda どっちかつーと、なんで我々がバケツでウランに引き続いて原発事故を起こしてしまったのか、の、手続き主義の苦手さ、との関連が個人的には、なるほど、と思いました。
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むぅ・・・
💬
いま日本が憲法を形骸化して、あわよくば骨抜きにしてしまおうとしているのは、要するにそういう文脈においてのことなのだと、理解しています。
安倍晋三は持ち前の勘で、自国の国民が、ほんとうには自由など望んでいないことを見抜いている。
日本人にとっての「自由」とは軍人やそれの代替物に怒鳴られず、小突き回されることもなく、穏やかに、ゆるやかな秩序のなかで、子供の遊び時間に似た、好きなことをやって暮らすことで、交差点の真ん中に駐車したり、
理不尽な屁理屈でクルマを駐車場の出口に駐めてしまったり人間は、どちらかといえば、オカミに成敗される人間だから、「ツーホーしますた」というような、普通の人間には、その低い視線が耐えられそうもない、おかしくもないネット用語が流行するのでしょう。
長いものには巻かれろ、は、日本語人にとっては、決して処世の方便ではなくて、自分たちの「自由」を保存するための共同体の掟なのだと思われる。
だからこそ、日本のような社会では「わがまま」と「自由」は峻別される。
「権利」すら「義務」を果たした人間への賞与として与えられる。
にわかには信じがたいが、自然権ですら、義務との関連で語られる「自由社会」が日本という民主社会なので、そんなところで、西欧民主の概念を述べても、まるで、教室に居並ぶ学生たちのように、ノートを取られて、さして興味もなさそうなしらけた眼で、見つめられるだけなのだとおもいます。
💬
日本に戦後アメリカがもちこんだ民主主義がついに根付かなかったのは、日本人には「手続き主義」が馴染めなかったからでした。
「なぜ、そんなことをしなければいけないのかわからない」が、戦後ずっと日本人の本音だったでしょう。
だって、もっと簡単な近道があるではないか。
手続き主義の怪物のような原発の運営に、一度目は廃棄の手続きにショートカットをつくってバケツで投棄しているうちに連鎖反応が起きてしまい、二度目は、年1億円を節約するためにバックアップ電源の位置を妥協して、海側に移動させてしまって、二度も失敗したのは、到底、偶然とはいえない。
いま日本が憲法を形骸化して、あわよくば骨抜きにしてしまおうとしているのは、要するにそういう文脈においてのことなのだと、理解しています。
せやなー
💬
これまでの定石が使えなくなって、読みも意味をなさなくなったことは、つまり人類の「地頭(じあたま)」で膨大な量の出来事を処理しなくならなければならなくなったわけで、これまで以上に、コンテキストを失って、世界は複雑化している。
複雑化すればひとびとはなんとか世界を理解しようとして、必ずメカニズムを一見簡明に説明してくれいるように見える陰謀論にとびつく。
そういう状態になった世界では民主制がいかに危険な制度と化すかは、
安倍政権で、マイルド版を経験した日本の人には判りやすいはずです。
あのときは日本がひとり破滅するだけですんだが、今度は世界規模なので、
世界を再び説明するためには哲学から作り直さなければならないでしょう。
もっともこういうときには、古い文明を持つ世界には、ほぼ手つかずで眠っている思想という宝物殿があって、日本は中国の周縁国として、例えば諸子百家という叡知を社会の意識下に隠し持っている。
脱亜入欧の夢から覚めて、自分の家にもどって、やれやれとため息をつきながら、公に向けた洋服を脱いで浴衣に着替えて寛いでから、ビールの小瓶でも開けて、縁側に腰掛けて、庭の緑を見つめ直すときなのかも知れません。
ひぇー…
💬
しばらくは現代人が営々と築き挙げてきた「秩序の定石」がばらけて、
核兵器の使用のようなことも、また少し敷居がさがるでしょう。
ロシアのプーチンが空からの攻撃でチェルノブイリの壁に開けた穴は、日本語で報道されているよりも遙かに深刻なようで、英語版でいいから北欧のマスメディアを読めば、日本の人が最も教養として持ち合わせているはずの核爆弾が使用されたときの悲惨についての知識と併せて読めば、どれほど致命的なことが起きていて、それを故意にやってみせたプーチンの人間とは到底おもわれない、冷酷な打算を理解することが出来て、こちらのほうでも人類は、おおげさでなく破滅にすでに踏み込んでしまっている。
西村博之はびこってるんや
いやだねぇ…
💬
ビンボくじを引くのは、「アメリカンドリーム」というアメリカという国家のマーケティングにつられてやってきた移民のひとびと、取り分け有色人の移民の人々で、ここから、ろくな未来があるわけはない。
もちろん移民として成功する可能性が奪われてしまうわけではなくて、
ハンディキャップ付きで、いままでも白人の何倍か頑張るしかなかったが、
これからはハンディキャップが倍になって、もうひとつ、これは中国系人の投稿を読んでいて、これはなるほど案外おおきいかも知れないな、とおもったのは、決して口にされなかった「おまえたちのような人種は嫌いだ」が、オバカなひとたちにとっては、「言ってもいいこと」になってしまったことです。
「やばいから黙っていた」人の数の多さは、アメリカの地方の田舎町をクルマで巡るのがガッコ休みの楽しみだったわしの実感では、都会の人間の想像を遙かに超えて、「ほぼ全員」と言ってもいいくらいだとおもっています。
ついでに#MeTooで述べられていたようなことどもも「WOKE」
という冷笑のひとことで片付けられるようになって、まだるっこしいから、日本の人に判りやすい言い方で言えば、朝起きて、夜にベッドに入るまでの現実世界が「2ちゃんねるネトウヨ」の世界になってしまった。
こうなると西村博之みたいなひとも、実際に、いきなりはびこりだしたりして、言語によらず、社会にも、歴史経過にもよらず、世の中のメカニズムというものは、案外、おなじなんだな、と思わなくもない。
これ
💬
魔術的精神と科学探究の精神は、もともとはおなじものだったことは、欧州人にとっては常識に属する。
実際、子供のときから数学や物理、化学が好きで熱中していた人は、最も集中して思考にのめり込んでいるときの
自分の精神の在り方が、明るい陽光でくっきり輪郭を照らされた合理的なものであるよりは、闇ではないが「視界」というものが存在しない、魔術的な空間にいたのを憶えているとおもいます。
人間の精神の内部に入り込んで、徹底的に自分のなかへ潜り込んでいくと、それは最も深いところでは宇宙とつながっている。
ちょうど、「素潜り」の潜水能力に個人差があるように、この自己内部への沈潜にも、おおきな個人差があって、能力が小さければ、息がつづかなくなって溺死する。
だから、思惟への沈潜の能力に自信がある人でなくてはダメです。
しかし、自殺に向かって自分を追い詰めてゆく人は、実は、この思惟に沈潜する呼吸が長い人が多いのです。
よく考えて、「自分のことかもしれない」と思う人は、思い切ってやってみるといいですよ。
その詰めた息の長い思考生活から生還した自我は、それまでとまったく異なります。
具体的には世界が自分が立っている場所と、ひと続きでは無くて、切れていて、客体化されたものとして新しく認識される。
思考の対象としての世界が目の前に現れる。
そのことの効用は、「目の前」と書いたが、自分の意志によって認識対象の世界との距離を変えられることです。
手をのばせばとどく間近にあっても、ひとりひとりの人間の顔が見えなくなるほど距離を取ることは可能です。
そのとき、この種族のひとは初めて、世界を「見る」ことが出来るようになるのでもある。
世界って、こんな形だったのか、と判る瞬間は、なかなか感動的なものであるように思えます。
そんなもんかもなー…
正しそう直観的に
💬
宗教は、ですね。
本質は、ひとりで神と向き合う者を救うんです。
新興宗教は、だからダメなのね。
彼らは「場」の力を借りようとする。
「場」の力で、きみを啓蒙し、説得しようとする。
そんなの、ほんとは宗教じゃない。
現代のカトリック教会の半分以上は、すでに悪魔に乗っ取られて、
悪魔の教会になっている、という説を唱えている人がいるのを知っていますか?
当然、カトリック教会内部の人です。
ぼくは、このひとの説を実は信じている。
神がいれば、必ず悪魔も存在して、その姿が見えない社会があるのは、実は、悪魔が神のふりを巧みに演じているからでしょう。
教会は、だから、理性にとって危険な場所だと思いますが、ひとりで聖書を読みふけって悪魔憑きになった例はない。
悪魔は、単身で神と向き合う人間を懼れるからです。
いいかも
💬
今回は世界によって、言い換えれば日本語世界が「社会人」に強制する習慣によって、追い詰められたきみに向かって書いています。
日常の感覚の範囲内で「困窮している」とかいうのではなくて、世界との関わりにからめとられることによって、希望を奪われたひとびとに話しかけようとしている。
孤独で、誰かと話したくて、ネットに入っていくのは、当然のなりゆきだとも言えるけれど、解決になるのは稀なんですよ。
もうほんとに自分を囲繞する世界に追い詰められてしまったら、自分とだけ対峙するのが最も良いようです。
自分探し、というが、自分を探すんだったら、世の中をうろうろするより、自分とだけ向き合う、あの生きながら踏み込んだ地獄のような明け方までの時間を過ごすのでないとダメなんですね。
いろいろな仕事を試してみたって、滅多なことで自分となんて会えません。
気休めと自分への猶予にしかならない。
ひとつだけ、ものをつくる以外に有効な孤独をすごす時間があるとしたら、それは、自分が心から信頼する、というか、簡単に、好きな、作家の本を読み続けることです。
何度も読む、のでもいいかもしれない。
それが「宗教」や「哲学」という名に分類されるものであれば申し分がない。
一ヶ月、缶詰でしのいで、飢えながら、
ちょうど19世紀の南極越冬隊のように、生き延びることを目指して過ごすのは、ある種族の人間の人生を変えてくれます。
変わるのは、ほんとうは人生でなくて、きみ自身なんだけどね。
ここから先は、到頭ガメは狂った、と言われそうだが、
聖書を読むといいかもしれない。
コーランでもいい。
法華経でもよさそうです。
これ素晴らしいぞ
サブスタック、アプリだと一段落づつしかコピペできない(のでコピペがめんどくさい)のが玉に瑕だがあとでいくつか貼る予定
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人の気持ちの動き方が、作ったようなところがなくて、やーそういう作品ってなかなか無いよね、と相棒と話してて、やーしかしそもそもの出発点の犯罪が解せん…と言ったら、まーそこは嘘でそれ以外はホント、みたいなかんじだね、って言われた。
相棒が聞いてるのを傍から聞いてて気になり私も聞きだして一気に聞ききった。
やーこれは名作やわ。無駄がいっこもない。というのはブンガクとしてはどーなん、というのはあるやろけどええねん。
主人公の女の人が写真とるところでちょっと泣いた。
Audible
一穂 ミチ
恋とか愛とかやさしさなら
https://www.audible.co.jp/pd/B0DTTM3CTZ?source_code=ORGOR69210072400FU
昨晩 75.6 kg がいま 72.8 kg
あさ病院2軒いったとはいえ新記録や
2.8 kg もいろいろ体から出てったか
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