昨日の、蓮のかほぎんに92、96年あたりのコノマモみを感じた話の続き?なんですけど、なんて言うか16bitも蓮も、現実の時間経過に添っていてはっきりと作中の出来事が現実の西暦何年の出来事かが示されているタイプの作品で、それが示されてることにより作中で明確に時間が経過していてキャラクターにも状況・環境にも色んな変化が起きているのだけど、そういう舞台設定だからこそ「あらゆるものは変化していく」ってことを物語としてどう描くのかということをやっていると思うんですよ、どっちも。
で、そういうテーマ性がある作品だからこそ、逆に、自分が子供の頃から元々あった慣れ親しんだ大好きなものに強く執着するが故に、それを押し流して行こうとする時代の変化に気持ちが付いていかず、何にも変わって欲しくないと(変化を受け入れないといけないぐらいならここを辞めると)言い出すある種保守的で頑固なキャラがメイン(どっちも主人公の相方になってくキャラ)に立てられるのだなと。
そういうキャラが、変化を仕方のない現実として折れて受け入れさせられるのではなく、主人公と関わることで、元々持ってる好きなものを好きな気持ちを失わないまま、もっと前向きな形で変わっていく世界に向き合えるようになっていく。
自分の愛している(消えて欲しくないと願っている)歴史・伝統とは、これまでそれに関わってきた色んな人たちの熱が築き上げたもので、今自分の目の前にいるこの人も正にそういう新しい歴史を作っていくような熱を持っている人だと思えた。
ただの出来事として起こる世界や自分の好きなものの変化は嫌だけど、具体的にその変化を起こしているのはきっとこんな人なのだろうと思える人に出会い、その人個人のことを、その人の抱える熱を好ましく思えてしまったから、そんな人が自分勝手に歴史を捻じ曲げて新しく作っていく世界のことも別に悪くないのかもしれないって思ってしまうような。
そして歴史とは今この瞬間にも新しく紡がれ続けているもので、新しく歴史を作っていっているこの人の隣にいることを選んだ自分もまた、新しい歴史、変わっていく世界の一部なのだと………そういう道筋で変化を嫌うキャラクターの変化というものの受容をやっている……のかな、と思った。
好きなものが形を変えていって、なんなら元々あったそのままのものはなくなってしまうことを嫌だと思う気持ちは自然なことで、だけどどんなものも時の流れの中で変わらないままあり続けることも有り得なくて、その現実と向き合わないと人は前に進んでいけない。
そんな中で諦めるのではない形で、世界の変化、好きなものの変化に向き合うにはどうすれば良いのかという命題に対して、16bitも蓮も、結果的に似た方法で似た答えを出しているのかなと思ったという話です。
前に、守くんは自分は変わりたくないし、世界にも何にも変わって欲しくないと言う人でありながら、16bitの作品の中では守くん自身が成長によって時の流れによる変化を具体的に見せるためのキャラなところ(原作で毎話毎話丁寧に年齢や学年書かれてるの守くんだけじゃないですか。若木先生ブログにもあったけれど、それが守くんが作品から与えられてる役割の1つなんだよね。)、本当とんでもなく皮肉だよねって言ったことあるけど、本人は変化に否定的な(だった)のに作品全体から見れば新キャラという形でそれまであったもの(6人で完成していた部、2人で完成していたスリブ)を壊す役割を与えられてしまっている吟子ちゃんもそのへんそうじゃないですか。
でも結局、当人が変化を嫌う人間であろうがなかろうが、その子も変化を続ける世界の一部である事実は動かしようがなくて、具体的に歴史はこうやって作られていっているのだという場面、同時に、変わっていく世界の渦中でありながらそれでも今自分はここにいたいのだと思える場所に身を置くことで、変わっていく世界の一部としての自分を少しずつ受け入れ、いつか自分がそうしたいってだけの理由と前向きな気持ちで身勝手に歴史を捻じ曲げてしまう側の人間になっていくんだろうなと。