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ししょうクッキー、ゼロ師匠じゃなくて猫師匠の可能性があるんじゃないかって言われてるの見て笑った。
言われてみればたしかに………

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今更なんでって感じなんだけど前にBSで録画して積んでたシャンバラを観た。
当時友達がめっちゃハマってたからなんとなくは知ってる気でいたけど、こういう話だったんだ……
結果的になんかすごい時勢に合ったタイミングで観ちゃったな…………(時勢に合い過ぎてて気が重くなった)

鋼の錬金術師シャンバラを征く者 感想(長いので伏せ)
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元々(原作)の作中世界とこの現実世界が交わるような話なのと、ロマがカーニバルに呼ばれてるところから話が始まってたり、登場するユダヤ人が映画産業に関わってる人なのは同じ意味合いのものだよな、多分。

アウトカースト的なマイノリティが祝祭や娯楽といった非日常をマジョリティに提供することを生業にしていることは昔からよくあることと言うか、人間社会がそういう構造になるのは文化人類学的にも説明されていることだけど(祝祭、及びそこで提供される芸能、娯楽って言うのは非日常に属すものだから、その担い手も日常="マジョリティらの暮らす社会"の外側にいる者である必要があるみたいな話。でないと非日常に非日常としての力が宿らないみたいな。それは世界中の社会でよく見られる現象で、日本の古い芸能もそういうものが含まれる。)、作中に登場するロマやユダヤ人といったマイノリティも丁度そういう非日常の提供者属性を持つ者として描かれている。

一方で、迫害されるマイノリティが欲したここではないどこかにある"自分の国"であったり(ここはその場所を望むのがユダヤ人からロマにずらされてるわけだけど)、そこに住むのは同じ人間のはずなのに人間ではない何かであるように恐れて滅ぼそうとしたり、エドらの元々いた世界の側のことはそれこそ現実世界でのパレスチナなんかの暗喩のようにも描かれてもいる。
でも同時にエドらの元々いた側の世界っていうのはそれこそ物語の世界でもあって、物語というのはそれもまたある種の非日常であり娯楽の一形態なわけだよね。

だから、物語の世界とロマやユダヤ人といった社会的マイノリティを非日常に属すものとして重ねて描くことを目的としてる作品、なんだと思った。
そのためにメタ的に元々の物語世界と現実世界を交わらせるような話にしてるんだと……
マイノリティって言うから小規模集団みたいに聞こえるのなら、言い換えれば自分たちの社会・世界の外側にいる人達なので、そう言えば社会的マイノリティと物語・フィクションの世界の中のキャラクターとは似たようなものになる。

良いように捉えるなら、そうやって非日常の存在という共通項でくくり物語世界と社会的マイノリティを重ねてみせることで、物語・フィクションの登場人物に自分と同じ人間だと思って思いを馳せる想像力があるのなら、現実の自分と同じ世界に属していない相手、社会的マイノリティや遠い国の人のことにだって思いを馳せることは出来るはずだよね?ってことを、言いたい話……だったのかなぁ……
(脚本の)會川さんって割とそういう社会派っぽい話好んで書かれる方だと思うし。

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ある意味、元のハガレンが十分に知名度のある作品だからこそ、思いっきりその物語世界を物語世界としてメタって描けるみたいなのもあったのかもなぁ。

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多分もう20年近く前の作品だよなーと思ったけど、19年前だったのであってた。
ボンズオタクなのに20年越しに観ました………

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師匠クッキーがゼロ師匠を指してるのか猫師匠を指してるのか分からないの、そもそもこの絶妙にどっちとも言い切れない状況が面白いみたいなとこある。

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ファン称、こういう流れで決まってたのか……

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ツキマカセだー!

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ベヒモスイベ、リアタイ時は前後編の間に少し間があって、後編くる前にアモンくんのリジェネ自体は情報出てたのに、いざ後編始まるまで既に前編に出てたライオ隊長=アモンくんの父親って予想してる声全く無かったの、前後編なのを利用したストーリーがバッチリ決まっててこちらも見事に乗せられたもんだから楽しかったよ。
前後編イベで一番前後編を上手く利用してた。

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作中季節的にマモコノ一緒に過ごすバレンタインは2024年が初めてですよね??
ミスドのゴディバコラボのやつ一緒に食べよ。