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クオ・チャンシェン『ピアノを尋ねて』(訳:倉本知明/新潮社,2024年8月/原書:郭強生《尋琴者》2020年)

妻を亡くしたばかりの初老の実業家「林サン」と、その亡き妻に雇われていたピアノ調律師である中年男性「わたし」との、出会いおよび交流。そして子供の頃にはピアノの才を高く評価されたこともあったが、演奏家にはなれなかった「わたし」の回想。

ままならぬ人生のなかで、それでも何度かはつながりを持ちたい相手に出会い、途中まではうまく行きそうな予感があっても、ある時点で結局、自分は選ばれないのだと思い知らされる……という経験を重ねるうちに、歳をとっていく「わたし」。

〔つづく〕

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〔つづき〕

傍目にはこの主人公のほうも、プライドの高さゆえに相手や音楽に誠実に向き合いそこねたり、伸ばしてもらった手をつかむことができなくて離れてしまったり、ままならなさを受け入れられず攻撃性を発揮して事態を悪化させてしまったりしているようにも思うのだけれど。でも、やはりそこで穏当に踏み出せない人生もあるのだよな。

台湾生まれで雪を見たことがなかったティーンエイジャーの「わたし」が、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」を弾きながら「身体の上に舞い落ちてくる何か」を感じ、それを雪だと言うくだりがなんだか好きでした。「林サン」とともに渡った異国の地や、のちに単独で訪れるさらに別の国において、中年になった「わたし」は実際に雪を見て、その上を踏みしめて歩くことになるのだけれど。

読んでる私は、その序盤の架空の雪への言及を自分のなかで引きずってしまったのか、この作品の語り口全体を、静かに降りしきる雪に似ていると感じていました。視界がさえぎられて他者の姿もくっきりとは見えなくなり、鋭かった音がくぐもって遮断され、ただ「わたし」ひとりの記憶と認識の音だけが脳裏に響いてくる、というような。

〔了〕