※今のとこ←私が読んだところまで、の意味。ちょうど、蔵六が長州の軍事に関与しだしたあたりです。
※今のとこ←私が読んだところまで、の意味。ちょうど、蔵六が長州の軍事に関与しだしたあたりです。
桂の村田蔵六発見がいかに奇跡的な偶然だったかを強調するあまり物語が弱くなった『花神』に対して、桂の内面描写をふまえて「発見」に至る『風雲児たち』の巧さよ。
『花神』は状況描写ばかりで進むので今のとこ、物語は弱い。
戊辰戦争が始まったら変わるんだろうか。
桂小五郎が吉田松陰の遺体を引き取った日、腑分けに来ていた村田蔵六を「発見」するシーンは『風雲児たち』のほうがはるかに上。
後発が先行作品の問題点を改善するのは当然だけど、才能がなきゃできないこと。
『風雲児たち』、司馬遼太郎から強い影響を受けてはいるけれども、物語をなぞってるわけじゃないんですね。
あたりまえか。
さす九だかなんだか知らんけど。
> 桝田道也@近世大名は城下を迷路化なんてしなかった: "九州は男尊女卑で~と言ってる関東民は男女の賃金格差ランキング…" - :don: — https://mstdn.maud.io/@mitimasu/113068719270010856
私小説めいた何かを書きました。2000字くらいじゃないかと思います。数えてないけど直感で。全体公開です。
[小説] 『チェリー』 |桝田道也|pixivFANBOX https://mitimasu.fanbox.cc/posts/9525498
いちおう、しでお信者のつもりですけどね、自分。
『地を這う魚』は『失踪日記』ほか失踪後の作品のいくつかよりも数段、絵の迫力が増しててびびる。
正直に言って絵が固まっててこれ以上は変化しないと思ってたんですよ>しでお先生。
それが、あの歳で変化が現れるとは。
失踪したことやアル中になったことより、『失踪日記』や『アル中病棟』が「売れた」ことが作家としてのしでお先生の刺激になるとはね。
吾妻ひでお先生の『地を這う魚』を読み返してるんだけど、アシ先の先生の小銭を盗むとことか、友人のへそくりを見つけ出してカツ丼食べて、問い詰められると逆ギレするとことか、同じアパートの住人が台所に置いてた食材を盗むとことか、読んでてしんどい。
ひとのアイデアをパクる「かいちょー」より、はるかに問題でしょ、人として。
『失踪日記』でも畑のダイコンを盗むくだりがあったけど、それをマンガに描いていいと判断してるのがしんどい。
『失踪日記』では自分の状況の客観視がすごいとか色々言われてたけど、客観ともちがう別次元の存在だったというのが正解な気がしてきた。
マンガを描くことで人間に踏みとどまることができてた何か、とかそういう存在。