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忘れ物に失せ物、ここんとこ多くて落ち込む。子どもの頃からそう。今どきの言葉では、注意欠陥障害とかに分類されてしまうのか、なんて話をしていたが、とにかく粗忽者というのが私の場合なのではないかと評される。
この歳になると、だんだんグラデーション的に認知症になっていった親も見ているから、まずはそっちが気になる。認知症でも穏やかに幸せに生きていける社会が理想だけど、まだそんな世の中のデザインができていないこと、自分も親の老衰に戸惑ってしまったことなど思って、余計に暗くなる。さて。。
@pokarim
鴨なのにかっこいい!すてきな写真をありがとうございます。
パワースポットだの御朱印だのという方面には一切の関心がないのに、寺社の歴史を素人なりに調べているのはもちろん、私たち民草の無意識的な「権威」の受容に関する精神史が気になるからです。。
いわゆる近代ぽい「自由意志を持った個人」という単位が成立しづらい世の中は、維新にも敗戦にも案外と断絶を受けずに、結局しぶとく現在に連続している。偉い人の言うことに表向き平伏してさえいれば事足りるというエートスは、どんなふうに醸成されてきたんだろうか。
道端の石碑なんかもつい足を止めてしげしげ見ているうちに、信心深い人と間違われたことがあって、ちょっと気まずい思いをしたことがあります。。
廃家電の持ち込みを電話で問い合わせたら、受付終了時間まであと30分では私のチャリの脚力では無理。日を改めよう。いつかやる。家電を荷台に括りつけて大通りを疾走する中年女性(不審者)。
運動神経皆無なのと脚が短いのとで、30代くらいからはママチャリの安心感に依存しているが、10キロくらい走るとケツは痛くなるし、腰も固まってしまう。そういう用途ではないと思い知るんだけど、今さらガチのロードバイクなんて絶対ムリだしなあ。。
年取ったら電動アシスト車…と思っていたくらいの年齢になったけど、瞬時の判断力が衰えると、あれはあれでかなり危険な乗り物です。私はかつて中野通りで電動アシスト車のおばちゃんに激突されて、サンダルで素足だった足の爪を1枚、ふっ飛ばされて血まみれになったことがあるよー。
というわけで、午後も冴えないママチャリで風の中へ出動だ。。
赤くてかわいい丸ノ内線♪せっかくの晴天に地下鉄はもったいないけど。お父さんと乗ってた真っ赤な電車ー。
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同定できない!トンボは知らなすぎる。。
牧場の近くのワイナリーでお昼を食べたよ。でもここ練馬区なんで、そういう単語から想像する風景とはまったく違うはず。それでもまあ楽しいな。穴場です。
お嬢ちゃん、それは残念ながらスワンではなくただのアオサギですぜ。でもうれしいね、大きな鳥。
いずれがアヤメかカキツバタ? 正解はカキツバタでした。
石神井公園、アナコンダみたいな変な魚がいて、ちびっ子騒然。ありゃ外来魚だんべー、と調べてみたら、お名前はカルムチーとのこと。すごいビジュアルでした。
ひのまるの旗が好きじゃないので、全部こいのぼりでいいや。お魚だもの。。
ここちゃんとはるかちゃんいきなり出てきて動揺した。。おねえさんになったねえ。
友人と酔っ払って喋ってたら、何か男子ムカつくって思った。まあそれだけのことですが、なんだろうね、この断絶は?
豊作のヘビイチゴ農園。
雨音を打ち消す階上の朝の掃除機。安普請の悲しみひとしおに連休最終日始まる。
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沿道にたまたま居合わせた近所のおばさんとして、声援を送りました。雨の日のデモはつらいよね。みなさんおつかれさまでした。
さよなら連休(めそめそめそ涙)。
よく行くスーパーの親会社が変わったみたいで、レジの達人のベトナムのお兄さんもいなくなっちゃったし、にこにことカートを整理してたお兄さんもいなくなっちゃった。。
こっそりお昼に食べるたこ焼きも、地方の渋いお菓子も消滅して、大容量商品の大量陳列に変わった。平日昼間に徒歩で一人分のお惣菜を買いに来てた高齢者とかは完全にターゲット外みたいで、リモートワークの私もそう。仕事の合間に、長閑な娑婆の気分が味わえる場所として、好きだったのに。
てことは、日曜に来る包丁研ぎのお爺さんももう来ないのかな。。私のぼけぼけの包丁にため息ついて、「ちゃんと切れるようにしてあげますよ。料理が変わりますよ」と請け負ってくれたお爺さん。
それから何度もお願いして、お祖母ちゃんのラシャ鋏も研いでもらった。そろそろまたお願いする予定だったのに。
批評がないと芸術も文学も成り立たないという友人に対して、それじゃ庄屋と小作の関係ではないかと創作者の側から反論して、決裂して終わった。ただの酔っぱらいの戯れ言ですが。。
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漢文なんて、漢詩読むわけじゃないからいいや…と中高でサボり気味だったけど、近世史料とかはほぼ漢文なので、読めないとあかんやつだった。。一般向けならば書き下してくれる親切な学者さんもいるけど、学術誌収載みたいなヤツだと白文の場合が多いので。。
仕方なく数をこなしていくと、触とか法度とかの文章は似たような表現が多いから、授業で習った程度の知識しかなくても、ゆっくり読めば意味を取れるくらいにはなる。もっとマジメにやっとけばよかったねー。。
とあるアーカイブでバイトしてた時、そこは明治期から存在している組織だったんだけど、初期の文書は漢文だし和紙に墨書きでした。そういうことだよな。。
それはともかく、台湾人の友だちが、何か日本人でも知ってるような有名な漢詩を原語で諳んじてくれた時はちょっと感動した。ちゃんと韻がきれいに踏んであって、よく考えれば当然なんだが、ちゃんと「詩」なんだもん。全然印象違うんだよね。
母がもうこの世におらんということは、母のケーキはもう喰えんということだな。ドライな娘、ふとお菓子が食べたくなって、ちょっとそんなことを思う。
江差追分の名手だったという祖母から、母が歌を教わらなかったことを「えーもったいない!」と責めた娘は、母が得意にしてた数々のケーキの作り方を母から教わらなかった。そして、それを責める子孫すら私にはいない。。
まあそんなもんですね。レモンパイとチーズケーキ食べたいよー、母ちゃん!
廃家電自転車荷台くくりつけ環七疾走おばさんやってきた。かなり不審者の体だけど気にせんといて。梅雨前猛暑前に片付けるべき宿題が片付いてほっとしている。
廃棄物処理工場に入れるのは珍しい機会なので、作業中の様子をしげしげ見るお上りさんになってしまった。意外と人力で仕分けとかしてもらっていたのね。。皆さん朝からありがとうございます。私も仕事に戻ります。。
@tsbasatoru
こういうプラカ好きです!最近はやりのお揃いのネットプリントよりも、自分の声って感じがしますよねー。
私は行けないけど、どうぞご安全に。
国会前、地下鉄から地上に出る階段や道路で警官に無根拠な交通規制(嫌がらせの通せんぼ)とかされるかもしれませんが、無駄にもめずに、のらりくらりと立ち回ってくださいませ。
狭いところに押し込められて、孤独でしんどい気持ちになるかもですが、お飲み物など持参して、ごゆるりと。。
かつて「何でも官邸団」と揶揄された頭数の一つより、皆さまの武運長久をお祈り申し上げます。
@tsbasatoru
他の駅からぶらぶら、はいいですね。おススメです。変な遠回りをさせられる場合もあるけど、原発や特定秘密保護法の時みたいなすごい人出が警察に予想されていなければ、そこまで厳しくないかも。新橋や虎ノ門もありですよー。
デモによっては、主催者側の弁護士さんが腕章つけて巡回していることもあるので、何かあったら頼れます。
国会近辺は何も店がないので、どこかで一息ついてから行くのが吉ですな。トイレはたぶん公園が使えます。
@tsbasatoru
私は不謹慎派(笑)なので、楽しむの全然ありだと思います。
今回はより深刻な当事者の方がおられる話ではありますが、その痛みに思いを寄せたいと祈る行為でもあり、何よりも「私は無力で孤立している」という虚無に呑み込まれないために、自分ひとりではなく多くの人が同じイシューに憤っているのだ…ということを体感できる場所は大事だと思っています。
ぽすともだーんでサブカルでニューアカ命で冷笑カッコイイという青春を過ごした私ですら、311以後、思い切ってデモに行くようになって、そんなふうに思うようになりました。。
@6hypogaea6
私のボンクラな目では見つかりませんでしたー。。むずかしい。。
近所のフォルクスワーゲン屋さんに横浜ナンバーの自動車運搬トレーラーが納品に停まってて、ああはるか遠くから海を渡って港に着いて、そんで運ばれてきたのねー…なんて思ったが、よく考えると別にそういう仕組みではないのかな。ナンバープレート付いてる車が搭載されてたから、そんな状態でドイツから港に着くわけないもんな。。
@GabbingDog
お芋の蒸しぱんなんでしょうか。
子どもの頃、むしぱんって虫のパンなのお??と、ちょっと疑ったことがありました。。
映画『EO』。見たいと言い出したのは自分だけど、この湿度の中、ぐったりじめじめな後味に気持ちが澱んでいる。。
酔っぱらいの自己嫌悪に苛まれる方へ、もっとヒドイやつがいる…というすてきな事例のご紹介。しゃがんでて立ち上がろうとして力が入らず、顔面をコンクリで擦って鼻にずりーっと擦過傷作りました。痛いです。
こういう時は、酔っ払って自分の顔面にレンガを落として前歯を折った大先輩女子の武勇伝を思い出して、アレよりはマシだわ…と思うようにしている。。
「しかしながら、最近、歴史に学ぼうとしない為政者や、歴史を学ぶにしても明治・大正・昭和戦前期の、日本歴史上に例を見ない天皇親政の国家像に郷愁を抱く為政者が、際立つようになってきた。このように為政者が、歴史を学ぼうとしないのであれば、未来に向けて息長く継承していく文化としての人文科学は成り立たなくなる虞れが生じる。」高埜利彦『近世の朝廷と宗教』「おわりに」より。
現世とあまり関係のない調べ物のために読んでいたが、最後に現世に引き戻される著者さんのコメントでした。。
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うっせいわ、バカと吐き捨てたかったけたど、社会人だし飲み込んで寝るわね。。
劣化という語を安易に使うセンスは好きではないが、今の私の頭も身体も、確実にかつてより劣化している。生物の一個体に生じている現象としては、つまり老化しているんだな。次世代を産み育てるという生物としてのお役目から逃れてまだなお生存することに、じわじわとバチが当たる更年期クライシス。。しんどい。
「朝夕に 草木を吾の友とせば 心淋しき折節もなし」だそうです。この呪文は効きそうだから覚えておこう。。
私の人生にあと何回晴れた5月はあるのだろうか、ということで、今日は早退して一人で日向ぼっこすることにした。最近壊れがちな自分をここぞとばかりに甘やかすぞ。
とはいえ行くあてもなく図書館に本を返しに行くなど。せっかくの晴天の下、相変わらず機嫌が悪い。
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顔の傷の治りは意外と速いな。膝とかだともっと遅いような。。身体でも、工務店が近くにある都会と、なかなか来てくれない辺鄙なところみたいな違いがあるのかな??
忘れ物捜索してたら乗り入れの関係で5社に確認しなければいかんとのこと。たった2駅の乗車で。。
私はもう全て投げ出して会社も辞めて一日中砂浜にうずくまって、浜辺に寄せる波を見ながら余生が尽きるのを待ちたい気持ちです。
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今日も転んだわけだが、親切な人たちが「大丈夫ですか」と声をかけてくれるのも恒例のことです。
しかし、その質問には何と答えればいいのか、痛みに耐えながら悩むのも事実で、仕方なく「大丈夫です」と答えるしかないのも恒例のこと。
渋谷の坂道で顔から転んで前歯を脱臼した時に、「無理に立たないでください、動けますか、ゆっくり立ってみましょう」といろいろ誘導してくれた人はたぶん医者か看護師さんかと。
大学の入口でチャリのハンドル操作間違って膝から倒れた時に、「かわいそうに痛いよねえ、泣きたいよねえ」と慰めてくれたのはお掃除のおばちゃん。
と、転倒のプロとして味わい深いお声掛けの思い出は多々ある。家族や友人は、とうに私の鈍さには慣れきっているので、誰も驚かないし心配もせず、あ、またかと呆れるだけ。。
医者に行っても「がんばれ」しか言われない程度の、寝起きの手のこわばり症状を抱えている。リウマチではないことだけ診断してもらったから、仕方なしの付き合い。
今朝は珍しく調子がよくて、あれ、昨日食べたもんがよかったのかなあ、と思うに、昨夜は牛すじ煮込みを作ったもんだから、「え?コラーゲン??」と悩んだ。
「消化分解されるものを経口摂取しても意味ないのにねー」と、化学専攻の旧同僚が嘆いていたことを思い出して、悩みは深い。
でも、牛すじ煮込むの大変だから、どうせそんなにしょっちゅうは作れないよ。鶏皮とか豚足とかの食感はもともと苦手だし。。
@GabbingDog
おお。。ありがとうございます。科学オンチの私には難しい話ですけれども。。
ますます悩ましいですね。薬効みたいなレベルではなくても、皮つきの豚肉を多食する沖縄のおばあちゃんたちは元気…みたいな。。
健康食品みたいなものは信用しないタチなのですが、今朝は調子いいな→なんでだ??というルートだったので、あらあ、もしかしてサプリメントでも再現できるのかしら??とか、ついつい色気を出してしまっております。
ご教示いただいた話、このへんの雰囲気ですかねー。
https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2017/PA03244_04
@GabbingDog
ありがとうございます。何にせよ万能の物質なんてないわけで、過信せず「お試し」で。。
どうやら私は動物の一個体としての能力はさえないのですが、生存のため「食べて調子のよいもの」を選べるような能力もあるといいなあ、くらいに思ってみます!
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青空よ、人間の愚行を覆いながら透明に輝いて。
自転車で散々霧雨に浸された一日の終わり、雲の消えた夜空を見上げながら、居間に迷い込んだナメクジを手で掴んで表に放して、なんだか射程の定まらない嘆きに足元をすくわれる。。
どこまでが岸田の人気取りのための事前の想定で、どこからがそれに乗っかった「西側諸国」の思惑だったのか知らないけど、撮りたい絵面がきれいに撮れた広島だったんだろうな。
まさか広島が、ロシアの核使用を牽制するための舞台に使われるなんて、すごいシナリオを考える人がいるんだなあ。。
「原爆の悲惨さ」を言う時に、それがどのような政治的な行動の帰結であるのかということを敢えて深く問うことなしに、とにもかくにもこの悲劇は繰り返さないでください…と訴えることは、被曝の痛みの切実さに対する仕方なくせいいっぱいの態度だったんだろう、これまで。
それを上手に利用して、オセロ盤の角に石を置いて全部白から黒にひっくり返すみたいに、全部きれいに逆転して見せた。核を持つ国と、その核に守られる国の首相が、WW2でアメリカが原爆を落とした地で、その敗戦国の首相と一緒に献花するという絵面で。
これはもう、日本の政治のセコさに「またか!」って腹が立つ日頃の感情とはまったく異なり、その見事さに呆気に取られてしまった。たぶん日本の政治家だけじゃこんな芸当は思いつかないよね。岸田の色気に、渡りに船って乗った人がいるとか、そんな感じ??
こんな怖い国際政治なんて考えないで、庭木に水でもやりながら残りの人生を過ごしたいけど、いろいろ世界中キナ臭くて、一体どうなってしまうんだろう。。
あそっか。ここのサーバ、mastodon.socialをスパム対策で一時的にブロックしてるのね、たしか。フォローしてるはずの人が外れてるのはそのせいです。。
雨の出社日。徒歩で駅までの道、登校中の高校生たちと入れ違い。パンダ、カエル、ジンベイザメと、思い思いのぬいぐるみを鞄にぶら下げているのが楽しいな。
自分は高校生の頃何ぶら下げてたっけ、と思い出したら、革製の小さなダックスフントでしたね。今どこにあるのかな。。
@granpa100roads
サーローさんも怒ってましたね。やるかたないです。。
これは実家整理で出てきたキーホルダー。何となくメガネケースにつけてみた。このタイプの留め金って、今はあんまり見ないよね。
母の実家の北海道に毎夏行っていたので、当時のファンシーな北海道土産の小物がたくさんあった。母が大事にしていたアイヌの木彫りの夫婦人形も処分してしまったのが申し訳ない。。
こんにちは。私の住んでいるkolectivaは先日のスパム対策で、mastodon.social を暫定的にサイトブロックしていました。フォローが外れてしまったので、手動で回復してね!という面倒なアナウンスが…
ということで、再度フォローいたしました。今後ともよろしくお願いいたします!
@stickfog
Thank you for re-following again. Maybe you understood what happened in my server for the incident of spammers from mastodon.social. I am always enjoining photos you boosted.!
「世界一の刺盛り」という看板を横目に歩きながら、世界一の刺盛りは、今はなき新井薬師の焼串なんだがな、と、私の信仰は揺るがない。ご亭主元気かな。デモ割ありがとう。。
八犬伝オタクのすえちゃんが「憧れの殿方言ってごらん」と叔母に訊かれる。「んー…馬琴先生!」と答えたら「ジジイじゃない!」という朝ドラのやり取りで、思い出す昔のこと。
『暮らしの手帖』のバックナンバーを読みふけっていた小学生の私、「どういう人が理想なの」「んー…花森安治!」「あの人スカート履いてるけどそういう人がいいの?」と親に笑われた。別にいいんです。
その後小学校高学年からは一貫して「坂本龍一!」だったが、その後自分が一瞬結婚してたとき、「あんた坂本龍一が理想だったんじゃないの?」とやはり笑われた。コドモの他愛もない王子様像なんだから、かーちゃんシビアなこと言わんといて。。。
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封印された空襲証言ビデオ、198人の意向確認できず 収録から四半世紀、問われる都の姿勢:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/252183
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昼に外に出たらシジュウカラが鳴いていたので、私の味方のごあいさつだと勝手に思うことにする。つぴつぴ。
リモート会議、メモを取るふりをして、メモ帳に気立てのよい感じのねこ(当社比)を落書きするなど。
「デザインあ」が戻ってきても、「シャキーン」は終わってしまったままならぬ世の中。。「あ」のほうが世間の評価は高かったんだろうけど、自分はそんなに。
「がっちゃんの鉛筆一直線」のほうが好きだったりする。
土日には衣更えしようと決意新たに、有り合わせの赤いランニングに鶯色のカーディガンでアホみたいなコーディネートだ。外に出る時は何か代案を考えよう。。
仕事の初っ端から、依頼したExcelファイルの代わりにそれを画像でメール本文に貼り付けたものが届いていて、本日のやる気は潰えてしまったが、仕方なく低空飛行で粛々と労働する。。。
というか、むしろその方法を知らないんだけど、どうやってやったのかなあ。。
HTMLメールは悪であるという刷り込みが抜けない旧世代なので、テキスト以外の要素をメールに盛り込まれると私の機嫌は悪くなるんだぞ。若者に笑われたけど。。
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安いアイスコーヒー用の豆をスーパーで買ったら、苦いだけで美味しゅうない。焙煎してくれるありがたいお店から浮気したバチが当たった。
以前こちらで触れた困った植物図鑑の話、続報というか、続きです。
遺族に訴えられたという『原色牧野植物大図鑑』初版(1982)をシロツメクサを例に、牧野著『原色少年植物図鑑』(1967年第29版)と比べてみた。クローバーが今週の朝ドラの主題だったんでね、何となく。。。元になっている線画は同一であることが伺える。
問題なのは確かに彩色で、少年図鑑(左)では葉の裏面である部分が、なぜか大図鑑(右)では表面になっているし、つぼみの彩色も随分違う。ひえー。こんな調子で改作してたのか。。。
少年図鑑のほうには、「少年少女には、着色をして図をみただけでも、わかるようにした」という著者の巻頭言があるから、本人の意向に添ってるのは左の図なんだろうな。。
ちなみに少年図鑑は、昔近所で「ご自由にお持ちください」と積み上げられていた本の山からいただいたもの。認知症になってしまった父親の見舞いに持参して、一日中二人でページをめくっていた思い出の本です。余談ですが。
巻頭には、「大泉の自宅において本書の原図着色をされている先生」という91歳の牧野氏の写真が載っているから、著者にとって正しい彩色は「少年図鑑」のほうだということよね、やっぱり。。こりゃ遺族も怒るわね。
とかいいながら、頑固なババアは眠くなるまでライダーズ聴いて寝る金曜日。
親の葬式が想定外に入って、前売り買ってたからヤキモキしながら高校生以来3度目のライブに滑り込んだという親不孝。
https://youtu.be/HFTaMJ1kMfY
「もう今日の仕事もやる気なしぞう52歳だよー」と30代の終わり頃に軽口をたたいていたが、なしぞうの設定年齢を超えてしまっても、やる気なしぞうなのである、今日も。
なしぞう元気かな。妻子がいるとか、何か細かい設定の物語を作って、ついったではなくメールで友だちとやり取りしてた。。何かそういうの、すごいOLっぽいなー。今思うと。
@mario_tauchi
つらいですね。。禁煙チャレンジャーの足を全力で引っ張る悪の喫煙者の群れを撃退しましょう!
ふふふ。今日も手巻きシャグの一服がうまいですー。ぷかー(悪)。
@mario_tauchi
よく考えたらヨモギってお灸にも使うのでは。。何か健康にいいかも?
健康を思うと吸わないに越したことはないですよねー。挫折されたら、悪の世界でお待ちしています!
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昨夜てきとうに見ていたTV番組で、平野レミが「読書の嫌いな自分の蔵書紹介」みたいな話をしていて、意外と面白かった。周囲の人に愛されて明るく育った感じのあるこの人に、マシューのしょうもない料理番組あたりから、割と好感を持っている。
本を読まないレミさんが紹介したのは、平野威馬雄の残した膨大な日記の山と、部屋の一角を占める和田誠の著書の棚だった。もうこの世にいない、大好きな父と夫の言葉をちびちびと大事に味わって暮らす日々。それはそれで、大切に育てられてよい伴侶に恵まれた人の幸せな読書なんだろう。孫も手製の本を贈ってくれたそうで、これもうれしそうに自慢していた。
先日、親や祖父母の書いたものを仕方なく処分してスッキリしたところで、近々自分の日記も捨てる予定なんだけど、自分が未来につなぐことのできなかった「幸せな家族」へのノスタルジーを感じて、それはそれでいいよなあ、と割と素直にほのぼのしてしまったんだと思う。
私は手放してしまったけど、そういう宝物を大事にしている人が幸福であるのはうれしい。
『はらぺこあおむし』についてイラストが途中で変わったらしいのだが、変わる前のイラストを見てみたい。
果物がくさっているように描かれているらしい。
1979年版を確認したところ、イラストが変わった後の出版だということが明記されていた。(国立国会図書館(National Diet Library))
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000088858
頻繁な苛立ちは摂取する物質の生化学的な働きによるのか、同じく何かしら内分泌系の具合によるのか、そういうカラクリはよくわからないけど、困ったもんだ。。
こんにちは。個人の体験談ですが、ちょろっとお話しします。ご家族で判断をしなければならない状況、お辛いと思います。
母が一昨年、長年のパーキンソン病の闘病の末永眠しました。
ご存知かと思いますが、パーキンソン病の薬は治療薬ではなく、症状への対処のための薬です。薬が効いている時間だけ身体が動くようになる。病気が進行してくると、薬効なしには寝返りも打てません。今まで投薬されていて現在投薬を中断されているのであれば、動けないし喋る言葉もはっきりしない、朦朧としている時間が長いという感じかと想像します。
逆に、投薬経験が今までなく、今回初めてパーキンソン病の診断がついてこれから投薬開始するということであれば、最初は劇的に効くかもしれません。身体が動くようになり、表情も反応も変わる。薬が効いている時間には動き回れて、切れるとまったく動けなくなるので、転倒の心配など別のケアも必要になるかもしれませんが。
母はパーキンソン病のみ数十年でしたが、晩年、薬はほとんど効かなくなっていました。一昨年夏の時点で、そろそろ嚥下も本格的に危なくなってきたし栄養状態もよろしくないということで、医師に胃ろうの判断を迫られました。うちの場合、本人がまだ頭ははっきりしていたので、「どうする?」と聞いたら、「嫌だ」と答えたので、胃ろうと投薬なしだとどうなるかを医師に聞きました。
「何十年もがんばりましたよね、本当に。何をもって終わりとするかは、考え次第なんです。自分の口で食べられなくなれば、それが身体の終わりだと考えることもできます。投薬をやめれば呼吸する運動機能も動きにくくなっていきますから、次第に眠っている時間が増えて、最期を迎えるでしょう。」と、母の闘病をしみじみと労ってくれた医師の言葉に救われ、母の意向通り胃ろうはやめました。それからだいたい医師の見立て通りの余命で、その後数か月で亡くなりました。意識のある最後の面会では「私がんばったよね。人生ケセラセラだわ」と笑ってて、ずっとケセラセラを母娘で鼻歌するという、まあ悪くない最期でした。
胃ろう造設と投薬によって、現在血管栄養で応急的に対処している状態よりは栄養もよくなり、経口に戻れる可能性があるのかどうか、もしくは寝たきりのまま余命だけが伸びるということであるのか、聞いてみたらよいと思います。どの選択が本人にとって苦しいか苦しくないか、医師はいろいろなケースの予測を教えてくれると思いますので。。
いずれにしても、間質性肺炎で血管栄養ということであれば、元通り元気になるための治療ではなく、「残りの時間をどのように過ごすのがよいか」という判断になるのではないかと思います。
どんなに情報を集めて判断しても、どんなに手を尽くしても、やっぱり必ず後悔は残るから、けっして自分を責めてはいけないよ、と友人に言われた言葉が、いちばん心に残っています。どうぞがんばりすぎず、介護されるご祖母様のご負担も考えつつ、「ケアする側の都合」も大事にされたらよいと思います。周りに何と言われようと、一般化することはできなくて、それぞれのご家族の事情がありますものね。
最近よく行くお昼外食のお店、今日のBGMはコンパイ・セグンドでした。午後のやる気など消し飛ぶ準備万端。
ご憔悴でしょうに、丁寧なお返事をいただきありがとうございます。
うちは相当症状が進んでいたので、ご参考になるかどうか…とりあえずそういう展開もあった、くらいにお考えくださいませ。
後から「ああすればよかったかな…」と思うのは誰でも当たり前なので、思いつめずに、「絶対の正解なんてないしなあ」くらいに構えていたほうが気が楽になります。
ポイントは、ご自分を責めたりなさらないように、です。お一人であれこれ悩んでいるとつらいので、誰かに喋れたらよいですね。
みなさま心穏やかに、ご祖父様の容態を見守られますようにお祈りいたしております。
仕事中なんだが、家に何か沖縄民謡流れてるぞー(もう一人のリモートワーカーの友人の仕業)。よくそのBGMで仕事できるなあ。。酒飲んで踊りたくなるじゃん。
近所のおじいさんが毎日スズメに餌をやっている。私が外に出ても何となくスズメが期待して寄って来るんだが、私は餌をやらないので、何だかいじわるじいさんになってしまったような気がして、いたたまれない。。