こんにちは。個人の体験談ですが、ちょろっとお話しします。ご家族で判断をしなければならない状況、お辛いと思います。
母が一昨年、長年のパーキンソン病の闘病の末永眠しました。
ご存知かと思いますが、パーキンソン病の薬は治療薬ではなく、症状への対処のための薬です。薬が効いている時間だけ身体が動くようになる。病気が進行してくると、薬効なしには寝返りも打てません。今まで投薬されていて現在投薬を中断されているのであれば、動けないし喋る言葉もはっきりしない、朦朧としている時間が長いという感じかと想像します。
逆に、投薬経験が今までなく、今回初めてパーキンソン病の診断がついてこれから投薬開始するということであれば、最初は劇的に効くかもしれません。身体が動くようになり、表情も反応も変わる。薬が効いている時間には動き回れて、切れるとまったく動けなくなるので、転倒の心配など別のケアも必要になるかもしれませんが。
母はパーキンソン病のみ数十年でしたが、晩年、薬はほとんど効かなくなっていました。一昨年夏の時点で、そろそろ嚥下も本格的に危なくなってきたし栄養状態もよろしくないということで、医師に胃ろうの判断を迫られました。うちの場合、本人がまだ頭ははっきりしていたので、「どうする?」と聞いたら、「嫌だ」と答えたので、胃ろうと投薬なしだとどうなるかを医師に聞きました。
「何十年もがんばりましたよね、本当に。何をもって終わりとするかは、考え次第なんです。自分の口で食べられなくなれば、それが身体の終わりだと考えることもできます。投薬をやめれば呼吸する運動機能も動きにくくなっていきますから、次第に眠っている時間が増えて、最期を迎えるでしょう。」と、母の闘病をしみじみと労ってくれた医師の言葉に救われ、母の意向通り胃ろうはやめました。それからだいたい医師の見立て通りの余命で、その後数か月で亡くなりました。意識のある最後の面会では「私がんばったよね。人生ケセラセラだわ」と笑ってて、ずっとケセラセラを母娘で鼻歌するという、まあ悪くない最期でした。
胃ろう造設と投薬によって、現在血管栄養で応急的に対処している状態よりは栄養もよくなり、経口に戻れる可能性があるのかどうか、もしくは寝たきりのまま余命だけが伸びるということであるのか、聞いてみたらよいと思います。どの選択が本人にとって苦しいか苦しくないか、医師はいろいろなケースの予測を教えてくれると思いますので。。
いずれにしても、間質性肺炎で血管栄養ということであれば、元通り元気になるための治療ではなく、「残りの時間をどのように過ごすのがよいか」という判断になるのではないかと思います。
どんなに情報を集めて判断しても、どんなに手を尽くしても、やっぱり必ず後悔は残るから、けっして自分を責めてはいけないよ、と友人に言われた言葉が、いちばん心に残っています。どうぞがんばりすぎず、介護されるご祖母様のご負担も考えつつ、「ケアする側の都合」も大事にされたらよいと思います。周りに何と言われようと、一般化することはできなくて、それぞれのご家族の事情がありますものね。