多くの労働日を残業させる感じの仕事量の、生活をナメるなという感じ
ケアしてくれる人に丸投げするか、生活を犠牲にできる者のみ正当な働きをする労働者と認めていて、そんなだから社会はいつまで経ってもこの程度なんですよ
多くの労働日を残業させる感じの仕事量の、生活をナメるなという感じ
ケアしてくれる人に丸投げするか、生活を犠牲にできる者のみ正当な働きをする労働者と認めていて、そんなだから社会はいつまで経ってもこの程度なんですよ
「愛するものを持つ経験」というのが主に子供に限定されていてパートナーにはそれが適用されないのは、庇護対象かそうでないかの違いってことでいいのかな たしかに庇護が必要な生き物と生活することでしか得られない経験はあるか
そうなるとやはり「愛する」という言い回しには一般的に庇護や慈しみの成分が多めであるって感じするな
子供を生み育てることをとても尊いと感じる人たちの意見を見てると「ええ…」となるものも結構見るけど、でもそれだけ取り上げて「やっぱりろくでもないんだ」みたいなこと言うのも不誠実だよな 意見ってもっといっぱいあるものだし
ペットとかなり違ってくる面はやはり社会的な繋がりの広がり方と手続き等の煩雑さなのかな 室内に閉じ込めてても良いペットと違って子供は権利があるので外に出ていくことを許容しなきゃいけないし、権利があるので様々な社会制度を利用する手続きを踏まなければならない
私も家建てると強制的に全然知らん手続きのことを知るイベントが発生しておもろかったので、未知の分野の知識を入れる強制イベントが発生するのは面白いよな
物事を進めてから後付で知識が入ってきたり知識を入れる必要性に駆られたりっていうことがあるから、まず物事を進めようという心の動きもわかる やってみないと如何ともしがたいんだよな
「次世代」とかの感覚がわかるかわからないかも良さを感じる度合いの分岐になる気がする 私は次世代の良さがわからないけど、わかると子孫を残すことの意味合いも感じられるものだろうし
「合法的に(?)無限の愛情と愛着を向けてもいい存在」が精神にもたらす影響のこともわかるので、一般的にはそれはパートナーではなく子供の方が適任だったりするのもあるのかな
人の愛情や愛着、社会性の広がり、精神のつながりというのが一人で役割を多く担うパートナーや、血縁関係に強く依存してしまってる社会もなんかよくないよなと思っている もっと広く浅いつながりによる人生のロールモデルとかも増えてほしいが…
「子供を持つのは本能だから」に関してはいや絶対そんなことないだろと思うけど 本能でやってるの…?そんな社会性の強い行いを…?
「ほしいと思ったものを得る」というよろこびはかなりわかるので、その辺でわかりを固定しておいた方がいいのかも 俺もほしいと思ったものが手に入ると嬉しいので
そう考えると”欲しい”という感情はなんなんだろうな なんか意味わかんないかも、”欲しい”って
現代では”欲しい”というのはかなり資本主義的な在り方に根ざしてしまっているけど、そもそも”欲しい”と感じる脳の動きをハックされているわけで、脳の動き自体はどこでも発生し得るんだよな
「与える側になる」というのが快感であることはわかる(与えられ続けて感謝し続けなければいけないと精神に負荷がかかる)けど、それを何か1つの存在に一身に注ぐ必要というのも実際はなくて、広範なつながりから与えることの快感を拾っていけないものだろうか、と思っている
でも広範なつながりの維持は大変なので結局”身内”を作りたくなってしまう、ということかもしれない
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男性憎悪拗らせてレズビアンの差別まで透明化してんのマジでやめろ〜〜〜〜……(そもそもゲイ差別発言だし……)
「そんな差別は存在しない」って言ってくれるマイノリティの存在が本当に好きだよね なんかもうさあ……
もうこの際是正しようとがんばらなくてもいいから「ある」ことくらいは認めようよ そんなんもできないんか……