出生を美しく説く言説を見るたびに、違う世界の話だ……となり、怖い
子どもがいると人生が彩られて、愛おしい存在ができて、死ぬときに幸せで、という綺麗な物語の中で考慮されない、子どもが幸せにならないかもしれない恐怖
いや多分そういう人たちの中にもあるんだとは思うけど、それでも出生っていいよーと吹聴することにためらいがなく、うっとりと語れるそれが怖いなあ…という…
「出生や命は美しいのでメリデメなどの価値判断が適用されない」といった価値観も散見され、おお……になった
出生は構造に根ざす強いエゴイズムを”愛情”で覆い隠してなかったことにしがちで、俺はその誤魔化しが怖いだけで、自覚的に生み出している行為そのものは、そういうこともあるかあと思っている
そういうことを望む人がいて、そういうことを権利として保障されてるなら、それは万人に開かれているべきだと思う なので出産や子育てにかかる福祉もあってほしい
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労働で「こいつ理解力ねえなあ」みたいな声色で被せて喋られると、俺もその調子で言ったろかコラと思う 実際言ったらどうなるんだろう
あ(笑)わかりにくくてすみません(笑)そこはですね(笑)って食い気味に言ったら怒られるんかな 理不尽だ
実際俺の話でしばらくわかってもらえなかったとこがあったんだけど俺は……俺はできるだけやんわりと指摘したのによ……
まあやんわりと指摘したせいか知らんけどほぼほぼ伝わらなかったけど いや別にやんわりと言ってるだけで指摘事項は明確だったよな……
話し合ってる最中に質問を威圧的に返すメリットなくないー!?!?!質問しづらくするだけじゃん 萎縮させるし
「子どもは子どもならではの発想力があるので、一緒に過ごしていると新鮮に人生を楽しめる」というやつの、自分と違う属性の生き物と暮らすと新鮮な刺激があるという理屈はわかるのだけど、なんでそれは成人のパートナーだとできないことになってるんだろう
成人のパートナーや友だちや知人や同僚もまた違う生き物で、まったく違う人生を辿ってきているけど、成人の他人相手では発生し得ない刺激がある、ってことなのかな
水遊びとか、虫取りとか、お散歩とか、一緒に楽しんでくれる誰かがいるかもだし、一人で楽しんだってすごく楽しめることもあるけど、それは成人だけでは成し得ない楽しみなのかな