中国のBL漫画家の話、リアルな感じで興味深い
日本の月はまるく見える
https://comic-days.com/episode/4856001361133077320
中国のBL漫画家の話、リアルな感じで興味深い
日本の月はまるく見える
https://comic-days.com/episode/4856001361133077320
不思議に感じたのは「猿股一丁」そのものではなく「西洋人が猿股一丁だったこと」とも読めるし、胴腕腿を出していなかったのも泳ごうとしている人はいなかったとも読めるかもだなあ
あと水着よりゴム製の頭巾とか手拭いで頭を包んでとか頭のほうが描写多いのもなんでなんだろな
ちなみに読書タグで見かけたリービ英雄『日本語の勝利』に「猿股の西洋人」の章があったために、それでそういや先生って何着て泳いでたんだろ…となった
アメリカの青年も「変な外人」と表していたので謎枠は謎枠
おお〜勉強になる
ふんどし本の写真をもう一度全部見てみたら、「あまり普及しなかった明治40(1907)年ごろの男子用水着」で猿股スタイルのやつがあった
こころコミカライズも、いだてんの水着を検証していた人が言っているのもこれかも!
競泳選手だと、1935年の新聞ではワンピース型を着ていて(練習はふんどし)、1955年の新聞ではパンツ型だった。そもそも競泳自体が1850年前後からなんだな
先生も猿股スタイルだった可能性も出てきたが、猿股西洋人をめずらしがっていたのと、みんな胴腕腿を出していない件がやや謎になるか…推理ゲーみたいになってきた…
先生がワンピース型を着ていた場合、急に水泳ガチ勢っぽく思えてきてわりとおもしろい
襦袢型は先生の後家感を高めるので一番似合いそうではある(私見)
ふんどし本は1930〜1950年代までまだかなりふんどしだったことをメインに書いていたが、先生の水着を考えることで明治大正は一度ふんどしではなくなっていることに気付けたため有用だった。江戸〜昭和は単純に一続きではなかったんだなあ
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先生推しの友達に定説はあるのか聞いてみたところ、コミカライズだとシマウマ水着は絵面がギャグになるしふんどしは生々しい、襦袢ぽいのは海水浴らしさが出ないから採用されないのかもしれない→結局先生も猿股っぽいやつじゃんとなっていると聞いた
女性は肉を隠しがちということはシマウマか襦袢で、男性は多少出ていたのかもしれないと考えるとシマウマかタンクトップ水着だったのではと予想していた
大変参考になる情報だ(特に人生の役には立たない)
ふと、『こころ』冒頭の猿股西洋人は猿股だった上めずらしがられていたよなあと思い、先生は何を着て泳いでいたのかむちゃくちゃ気になってきた
↓の明治〜大正は、男性もタンクトップ水着ぽいな。あとは薄い着物を羽織っている?
https://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1462778858892/index.html
『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 松山』「明治32年(1899年)頃の松山・梅津寺海水浴場 西洋寝巻と言われた水着を着た少女たち」の写真も、少年はふんどしだが、少女と大人は襦袢みたいな薄い着物を着ていた
1890〜1900年頃は薄い着物
1900〜1930年頃はシマウマ水着
1930〜1950年頃は戦争による物不足兼神聖視でふんどし再興
みたいな感じだったんだろうか
『こころ』は明治末期舞台だが、猿股西洋人以外は胴・腕・腿を出していなかったとあるから、先生は「西洋寝巻と言われた水着」が一番近いのか…?それかがっつりシマウマ?
「私」は水着無しが確定しているから「私」はふんどしな気はする。ふんどしが猿股を驚くのも不思議な気がするが、浜辺から猿股一丁だったのが驚きポイントだったのか…?
明治の錦絵だと腰布マンもいるな
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:MET_DP151612.jpg
いずれにしても一番想像しやすいパンツ型の水着ではなさそうパンツ型の水着は1930年代でもまだ普及していなかったそうなので。猿股に一番近いのもこの形だがそれが無いわけだから、それでめずらしがられていたのかなあ