富裕さと思慮深さにあまり相関がないことが再確認されてしまっている。
主語を出すと確実に炎上するから出さないが、自分の率直な感想は、先週の入院の報のとき「こりゃ一週間もたないだろうな」、今日の訃報で「ああ、やっぱり」だった。
完成品の布マスクを商品として売ってしまうと、億単位で作らない限り一年は売り切れ続けるので、布マスクは生地から自作するのが良さそう。
いちいちそういう枠がついてないと落ち着かないの? 落ち着かないんだろうな、でもそれってつまんないよな、と思ってしまう。
こないだの英国首相のスピーチさえ「英語のお勉強の教材」という枠に落とし込んでしまう層の「お勉強根性」にはついていけない。
dailyportalz.jp/kiji/180831203… の時点(2018年8月)で、きぬた歯科( dailyportalz.jp/kiji/signboard… )はまだ新幹線沿線に看板を出していなかったようだ。
「出羽守」が最近1-2年でできたネットスラングだと思っている人が案外多いようだけど、これは少なくとも1970年代からある、それなりに由緒正しい言葉なのです。
なんか最近、フィクションとのつきあい方が下手な人が増えてる気がする。大雑把に丸めると、期待を裏切られることについて異常に傷つきやすいというか。
twitter.com/search?q=%E3%8… 「クラスタ(ー)」という言葉をTwitter以外の場所で聞いて驚いている人々。
ヨーロッパで政府が教会の活動を当然のように禁止できているの、世俗化が完成してるなーと思った。つい百年前でもこうはいかなかったのでは?
いま特にイタリアでバタバタ死んでいるという既往症持ちの老人は、日本の場合、あらかた既に病院へ収容済みだから被害が出ていないのだと思う。
かつて「かわいい男の子」として扱われたことがあり、かつそのことを覚えている成人男性って、もしかして、思っていたより遥かに少ないのかな……?
twitter.com/search?q=%E4%B… 伏線が回収されるか否かを異様に気にする人は「伏線厨」だなと思って検索したが、あまり使われていない。というかもう「-厨」は死語でほとんど造語力を失ったのかも。
亀反応。「世界中がめちゃめちゃになると痛快だ」みたいなことを言う人は観測範囲にも何人かいるけど、彼らは無名の一般人だから問題にされないのであって、地位のある新聞記者が同じことを言うと当たり前に炎上するのだなあ。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8… 名前からすると覚醒剤の守護聖人。
ameblo.jp/mistanbul/entr… トルコには従来からコロンヤ(kolonya)という香りつきアルコール消毒液を日常的に使う文化がある。
「努力」という概念は一応は知ってたつもりだけど、自分にとっての「努力」のイメージは「前日か前々日あたりに全力を出す」程度でしかなく、「計画」という概念とは全然リンクしていなかった。
超ぼんやり社会人をやっていると、「社会は万事『計画』によって動いている」というごく初歩的な事実を、就職20年後にようやく発見することになります。
既に日本では、科学を愛する人はFacebookには住めず、Twitterに籠るしかなくなっているけど、諸外国ではどうなってるんだろう。
インターネットの新旧世代対立とは、下世話な言い方をしてしまうと、金のためにインターネットをする人とそうでない人との対立だ。僕は見ての通り後者です。
簡易生活本に見られる「各自の生活を改良することが社会の改良につながる」という発想は、普通に儒教の「修身斉家治国平天下」から来てる気がする。
↓によると、世界中どこの国でもトイレットペーパーが品切れを起こしたのは、トイレットペーパーが特別に品切れしやすい特徴を持つ商品だからということになり、デマ説はハンロンの剃刀でそり落とせる。
それにしても「転売屋」はほぼ常に「転売ヤー」と表記されるようになったな。いや、語の成り立ちが違う、「-屋」と「-er」は別物だ。あと「ヤー」がヤーな感じを醸し出してるから支持されてるのかも。
middle-edge.jp/articles/I0002… あのゴムのおもちゃの名前。しかし本当の英語名はアイポッパー (en.wikipedia.org/wiki/Eye_popper) らしい。
普通「経済感覚がずれている」とは上の方にずれていることを言うけど、「下の方に」経済感覚がずれている人もいるんだなーってなってる。「大統領と首相の会食が15,000円なのは高すぎる」に次いで、「1泊8,000円のホテルは豪遊」という2例目を見てしまったので。
少なくとも自分の勤務先の会社では、役職に関係なくさんづけする文化が定着しているが、そうなったのは80年代に意識的に変えたからだと聞いたことがある。よその会社がどうかは知らない。
コトリコさんの簡易生活本によると、みな平等にさんづけで呼び合うことで業務の効率化や人々の能力の開花を図る「平民主義」が明治37年の時点で主張されていたというが、日本企業がそれを導入しはじめたのは、そこから80年以上下った昭和最末期である(google.com/search?q=%22%E…)。