神坂一『スレイヤーズ 16巻 アテッサの邂逅』
https://xxngxx.site/memo/post-2991/
満足度の高い一冊だった
マストドンはTwitterの代わりにはならないな〜と改めて思っていたところだっただけにクソがよ〜〜〜〜〜の気持ちが強い(APIの件)
文ストのアニメ、乱歩さんとポオくんのコンビ好きだからニコニコしながら見てたのに、横溝くんと小栗くんの身勝手で健気でウェットで重たいBLを浴びせられて思わぬところで寿命がのびた
「昔好きだった作品」の表現に戸惑ってしまったら? フィクションが与える2つの影響——文学研究者・小川公代さん | こここ
https://co-coco.jp/series/study/fiction_kimiyoogawa/
とても良かった
“なのでフィクションには、やはり両義的な働きがあると思うんですよ。1つは「これについてどう思いますか」という問題提起をする作用。もう1つは問題となり得る表象を人の内側に取り込ませて、正常化してしまう作用。ある意味で恐ろしい効果もフィクションにはあるわけで、その力をどう運用するかというのは、実は一人ひとりに委ねられているんだと思います。”
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昨日ウワッてなってアニメイト退会したんだけど、今回のタイミングで退会した人のリストが誰かに流れたりとかしないだろうな………とビクビクしている
https://twitter.com/hot_mangahot/status/1752914543007904139
謎のPRが流れてきてなにげなく読んだらこの頃のミツクリ比較的無害に見えるし普通に可愛くて「ええ……!?(これが……あんな獣に…………!?!?)」てなっちゃった。でも獣のミツクリも好き、クソ迷惑で可愛いから!
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なんか多分自分はフィクションコンテンツで倫理的だったり人道的な「正しさ」が描写されることをとても嬉しく思うものの、反面「正しさ」はあくまでも評価軸のひとつであって、コンテンツ中に「正しくない」描写があるとしても(部分的に留意したり批判することはあっても)「正しくない描写があったから」という軸だけで作品自体が大きく損なわれるともあんまり考えてないっぽいんだよな。
もちろん正しくない描写にも程度や種類があって、その都度精査して特に現実に悪影響を及ぼすような「良くない」描写の問題点なんかには声を上げていくべきというのは前提にあるし、作品というよりは不誠実な作り手の姿勢を見せられてガッカリさせられることも多々あるんだけど。
私はその場その場で瞬発力をもって毅然とした指摘や批判が出来るだけの能力に欠けているので単なる言い訳なのかもしれないけど、「正しくない」ものを描写することで「正しさ」がひらかれる、みたいなケースもあるし、その時はわからなかったけどあとあとになってから「あの描写ってそういうことか…!」ってなるケースもある。
感情的になってる時はわりと勢いでなんか言っちゃうこともあるけど、勢いが必要な場合もあるしそれも本当の気持ちだから否定したくもなく、ただもう少し物事を長い目で見られる余裕とか力がほしい。
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毎度この手のやつにはキレてるけど「わざわざ『退会した』とか言ってるフェミはこれまでアニメイト利用したことないやつw」みたいなの、世界で一番ムカつくもののひとつ
『八つ墓村』【公式】
https://www.youtube.com/watch?v=Rnm5MQR5-Tk&feature=youtu.be
えっなんか松竹が2月15日まで八つ墓村の無料配信してる!!!
金田一耕助シリーズ、今『悪魔が来りて笛を吹く』を読んでいて、次が『夜歩く』で、その次が『八つ墓村』らしいんだけど無料配信中に読むの間に合うか……!?すごいチンタラ読んでるから無理そう!!!!でも見るなら先に原作読みたい!!
「悪魔が来りて笛を吹く(曲名)はドップラーのハンガリー田園幻想曲を彷彿とさせるフルートの吹奏曲で」的な文章が出てきたから曲の雰囲気を掴むためにハンガリー田園幻想曲を試聴してみているうちにウトウトしたりなどのチンタラ速度で読んでいる