私は、人間関係の間に自然というバリアーがあることが良いのかもしれない。ここでいう自然というのは、意図による制御のきかない世界の要素であって、分析せずとも認識の対象として感じ取れるものである。そういう生活を目指してみるのが良いのかもしれない。
私は、人間関係の間に自然というバリアーがあることが良いのかもしれない。ここでいう自然というのは、意図による制御のきかない世界の要素であって、分析せずとも認識の対象として感じ取れるものである。そういう生活を目指してみるのが良いのかもしれない。
人間の文明と自然の関わりといえば、小学生のころ、H.G.ウェルズの「タイムマシン」を読んだことをよく覚えている。あの本が市立図書館の開架にあったのは幸運だった。
プロフィール欄、本サーバーでは年齢制限を明示していないことと相まって、個人情報として法律上の問題になる可能性がある。せめて、「事実である必要はありません。あなたが公表したいと思う内容を記入してください。」という注意書きをいれたい。
「出したらいけない情報」「出しても良い情報」の区別があるのではなく、個々の情報(年齢、性別、誕生日、地域、気候、景色、投稿時間帯、趣味、専門分野、学校などなど)が個人を絞り込む手がかりになる。それらを組み合わせて、個人が特定される。
その中でも、機械的に集めて検索・分析しやすい情報や、一つだけで個人が確定するような情報は特に注意したほうが良いよねという話。
自分が表現したい内容と、自分の情報がどれだけ特定されたら困る人に知られているか、そして特定する人の能力や労力にどれだけ負担をかけられるかということを考えて、投稿することになる。
生きることは、リスクを取ることですからね。