@tinnakari サーバー管理者の本意ではないですが、若い方が多いです~。
@xx_x 現状をありのままに受け入れることができないから、要求できないものを要求して、破綻したら次に行くという他責思考か、あるいは自分は何もすることができない、居てはならないという自罰思考しかできない状態なのだと思う。
みすきーすくえあは、朝4時からラーメン、ハンバーガー、ピザ、オムライス、寿司、ステーキ、お好み焼き、ポップコーンが食べ放題のインターネット食広場です。食欲を一方的に刺激する、暴力的なコミュニケーションを心掛けています。
@26cm 美術館とか博物館、行ったことのある人にとっては、とても気軽な場所だけど、行ったことない人はハードルが高く感じられるのですよね。
ボーカロイドをつかって楽曲を作る人はボカロPと呼ばれているが、ボーカロイドのキャラクターをバーチャル歌手としてプロデュースするという考え方に賛同する人、なんとなく当てはまると思う人、全く反対する人がいて、当てはまらない人は呼ばれ方にもやもやしている。
一時、ジャニーズ事務所のどうのこうのが話題になっていたが、YouTubeにおいても、YouTuberが女性視聴者に媚びるために、「自主的に」同性愛的なパフォーマンスをしてみせるのも暴力的たりうると思う。本当は嫌であったとしても、「数字のため」「嫌ならこんな職業辞めたらいい」といって押し殺されるだろうから。などということを思った。
成長こそが、恋愛の最もロマンティックな形だと思いませんか?
相手を本気に好きになった証拠 あかしが、死ぬ時までずっと人生を彩るのです。美しい恋愛をしようと思ったら、成長に目を向けることです。
RE: https://misskey-square.net/notes/9lpl225pup
@s instanceOf の意味が通じる短くて目立つ単語を選んだ結果、new
になったのかなと思います。要するに記号であり、「使えば馴れる」ので、用語が納得できることよりも簡潔であることが優先されます。構文としての一貫性のために、式ではなく値を導きたいので、イコールは変えるわけにはいきません。
ようやく絵文字を更新した。設定からキャッシュをクリアしないと新しくなってないかも。
ライセンス: CC0
使用フォント: 解星デコール (Kaisei Decol Bold)
@s 必要なのは、クラスというレイヤーから、インスタンスというレイヤーの値を返す構文です。
以下のように、代入文とは関係ない位置で、クラスからインスタンスを得る必要があります。
{
"crawler":
new Crawler(
new Website("https://example.com")),
"name": "Example Crawler"
}
つまり、new Crawler()
というフレーズは、構文論的には、定数などと同じ「値」であるため、代入文の右辺になることができます。let A = Crawler;
crawler = new A();
new
に当たる操作は、クラスという値を引数として受け取り、クラスの表すインスタンスの値へを返す、通常の関数として定義されています。@s 変数束縛とクラスシステムは独立した概念なので、クラスシステムのために代入の構文に手を入れるのは語彙感覚以前の問題です。こうした混同をゆるしていると、当たり前の処理を書くためにいちいちマニュアルを引かないといけない、SQLのようにひどい構文になってしまいます。こうした独立性の尊重は、特定の実装によらないプログラミング言語の設計における共通の考え方です。例外は、アセンブリ言語くらいです。
一方でnew
が変だというのはそうであり、これに慣れるのが通過儀礼です。(Common Lisp という言語ではnew
ではなく、make-instance
という名前の関数を使っています。これは良識的だと思います。Perlという言語はふざけている(それは文化的なものなのですが)のでbless
という名前の関数をつかって、ある値があるクラスのインスタンスであるとシステムに認識させています。要するに、この記号がどの名前で呼ばれているかなどということは、単なる流行ということです。「憮然とした」の用法がおかしいという程度の話です。)
@s εは入力し難いので、糖衣構文としてどうかと思います。Haskellという理論重視のプログラミング言語では、「クラス」という用語はtype classという全く別の概念を指すためだけに使われています。type classはある性質を持つtypeをまとめたものなので、用語法として納得できます。
「オブジェクト指向言語」における「クラス」という用語は、「プロトタイプ」の拡張によって「タイプ」という概念を実現するという論理枠組みと対比させるために必要だったわけですが、用語法として美しくないですね。私も同じものを指すのに「タイプ」という用語で呼ぶ言語の方が好きです。