おやすみふぇぢばーす
この点はうちの牧師とも話し合ったことがあります。
結論としては、
「多くの信者さんは教義・教理に惹かれて教会に来ているというよりも、礼拝のもつ空気感、また信者同士の繋がりに惹かれて毎週やってきている。なので、AIが説教できるようになっても、それでは礼拝が成立しない(礼拝の空気感が成立しない)ので宗教家の礼拝屋(布教家)としての役割がなくなることはないだろう」
となりました。
生成AIやLLMというものの性質を踏まえるとあくまで経典や論書へのアクセスを容易たらしめる媒体であって適切な範囲で活用されるとしたら出家者というよりも出版物なんかを代替しうるといえそうな気がしないでもない(この辺は薬剤師や弁護士の補佐に使うことが想定されているタイプのAIに近そう)
そういう意味では現状でも仏教書を手に取るような層がそれらを僧の代替として認識しているかどうかでいえば否だろうし正確な教学へのアクセスが十分に担保されているかどうかという点だと近所の書店にある宗教コーナーの棚を覗けば怪レい本なんかいくらでもある訳で問題の質が劇的に変化するかといえばそうでもないのではというのが個人的な考え(もちろん量という意味では話は変わってくると思うが……)
RE: https://iwshkey.com/notes/a3bearwagq