群像の松浦さんの記事
【特別公開「論点」国立西洋美術館抗議活動をめぐって】組織化された自律性 Autonomia Organizzata(松浦 寿夫) | 群像 | 講談社
https://gendai.media/articles/-/130062
群像の松浦さんの記事
【特別公開「論点」国立西洋美術館抗議活動をめぐって】組織化された自律性 Autonomia Organizzata(松浦 寿夫) | 群像 | 講談社
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ホーツーニェン、全体の見る時間めっちゃかかってVR飛ばしちゃった
おもしろい作家だけど、全体的にしつこいとはおもった
松浦寿夫さんのテキスト、あいかわらずの松浦節という感じで、ぶっちゃけ「文法学者も戦争を呪詛し得ることについて」に触れて「文法学者も」ではなく「文法学者であるからこそ」抗議できる、と書き換えるのまったく意味がわからない展開なんだけど、これ理屈ではなくただの文章のノリで、攻撃的で挑発的な意図を感じる。文章のスタイルとして「反省」とか「自己批判」とかはとらないところが正直だなとおもう。
https://gendai.media/articles/-/130062?media=gz
反省とか自己批判って結局なににもならないわけで、松浦さんのこれは相互的な応酬の期待として批判が行われるというのが、健全だとおもう
一方の当事者たる美術館からはその応酬が返ってこないのが現状であるというのを明確にしている
「女」という属性をもちだして「松浦は参加作家の女性を行動する女性とそうでない女性に分断している」と主張するのかなり悪質で、というのも、ここで名前のあがった4人以外にも参加作家の女性はいるわけだけど(というか記事中に名前のあがった百瀬文は参加作家でもない)、彼女らは論じられていない以上は「行動していない女性」枠に閉じ込める作用がある。こういう言論の作用というかレッテル貼りが分断をつくりだしているとしかいいようがない。あのテキストを読んで「松浦は小田原をdisっている」とはふつうおもわないけど、そのように「レッテルを貼られている」と感じたんだろうなとはおもうけど、それを言説の当事者の松浦の「欲望」みたいによくわからないものに帰責してどうなるの?
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ラスタファリ Rastafari って「ラスタ」っていうから「ラスタ」と「ファリ」で分節するのかとおもってたけど、そもそもハイレ・セラシエ一世の名前でラス・タファリでわかれるんだよな
進撃の巨人を読みなおして、主人公エレンが排外主義と紐付けられるのだけど、エレンは仲間思いであることはさんざん強調されており、当初の素朴な「仲間」意識を排外主義にまで発展させる作者はけっこうすごいなとおもった。