おはよー。
2階北側の窓からの景色なんですが、雪が裏山近くまで迫ってました。寒いはずだ。気温は5.3℃です。
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夏目漱石『野分』
ここ数日どうにも寒いので、野良仕事も、ガレージでの鍛冶屋の真似事もやめて、部屋に引き籠って夏目漱石全集を読み進めている。『草枕』にかなり手間取ったが、おかげで読み終えることが出来た。『二百十日』、『野分』と続けて読み終り、これで第三巻は終り。
漱石は『吾輩は猫である』において財力を頼みとする愚物(金田鼻子)を登場人物たちに揶揄嘲笑させたり、『坊っちゃん』において社会的地位を頼みとする愚物(赤シャツ)に対して主人公たちに鉄拳制裁を加えさせたりしていて、なるほど、漱石は人格低劣な輩が財力・社会的地位・門閥などを誇って威張り散らかすのが癪に障って仕方が無かったのだろうと言うことはよく分かる。
そして、世の中がそういうものである事を認めた上で、では、そのような低劣な世間に負けることなく自分が信じる高潔な価値を守るために、自分はどうすれば良いか、どうしたいかという事を実験的な手法で考えてみたのがこのあたりの小説なのだろう。
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夏目漱石の『草枕』で面白いと思ったのは、おかしな言い方になるかも知れないが、「非人情」な男と「非人情」な女の間で、世間的な恋愛ではない何らかの深い交流が有り得るか、という事を考えて、登場人物を動かして実験しているみたいに見えるところだった。
癇癪の種である愚劣な世間に対抗する手段として、漱石は東洋の隠者の歴史に通じる遁世(非人情)という方法を考えてみたのが『草枕』なんだろうと思う。そして、それに漱石自身が満足できないと結論づけたであろうことも、小説の最後を読めば推測できる。非人情と言っても、不人情な冷酷さとどう違うんだ、と。
それにしても、漱石の恋愛に対する憧れはすごいね。どんな難問も一心不乱の恋愛の前にはどうでもよくなる、と思っている節がある。
それと、自然の事物に対する解像度の高い視線も特徴的だろうな。
昔、ある文学青年のガリ版刷りの小説を読んで「自然描写は良いね、でも、その他は何か、、、」と言ったら、自身文学青年である友人が「でしょ?彼、自然描写は上手いんだ。でも小説は人間のことを書かなきゃね」と言った。いや、そんな事もなかろう、と思ったけれど、うまく説明は出来なかった。
『草枕』の非人情主義では駄目だとしたら、後はもう、正々堂々と自分が信じる義の旗をかかげて、革命(暴力ではなく知力による革命)を目指して世間に対して正面撃破の戦いを挑むしか無いよね、というのが『二百十日』の宣言であり、でもまあ、それもなかなか難しい所があるよな、というのが『野分』だ。
すごく図式的な、単純な理解だな。大丈夫か?
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https://fedibird.com/@minna_iiko/111401441391688674
使い勝手が良くて、しかも保守性に優れた(ここ大事) Excel シートを作成することは、そんなに簡単な事じゃないので、それはもう「どうもそうじゃない」です。
ちなみに、プログラマを本職とする私も検索能力無しでは Excel の数式を触れなかった。
Excel は既存の紙の書式を真似してしまえるのが、便利な所でもあり、悪い所でもあって、なかなか厄介です。
https://mastodon.social/@moriteppei/111402396245583272
> 今って自分の名前や所属名乗らないで電話するのがフツーなのかな。
いやー、そんなわけ無いでしょう。
自分に取っては「おはようございます(こんにちは、こんばんは)、○○です。今、電話だいじょうぶですか?」が電話を架ける場合の決り文句なので、そうでない電話、例えば、いきなり「今日、あんた、家におるか?」という電話を受けると、携帯で名前が表示されるから隣家の先輩だとあらかじめ分っていても、(何やねん、このおっさん、また自分の都合だけで私を予定に組み込みやがったな)と心の中で舌打ちをすることになります。
デフォが「わしやけど」「あのなあ」「今度の日曜日なあ」なのは、でもまあ、少数派ですね。そんなのばっかりだと、そりゃあ辛いでしょう。
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