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Darrell Scott - Open Door
さて、お別れだ、愛しい人よ
歌が風に舞っている
西部が私を呼んでいるんだ
何があるのか見てくるよ
夕日と共に去って行こう
モンタナに向うんだ
嘆いても無駄だよ
見付けたものを君に見せるさ
欲しいものを簡単に手に入れる人もいる
そう見えるだけかもしれないけれど
手を伸ばしてリンゴを取るように
手を伸ばして夢を見付ける
でも、暗闇を旅して
物陰に休む人もいる
内なる悪霊と格闘し
恐れずに向き合う人もいる
より良い自分自身を求めて私たちは言い争う
求めることばかりが増えていく
棚から鏡を取って
開かれた戸に気がつくんだ
熱にうなされる程に君を愛している
過去の思い出と共に君を愛している
私の心がそれを守るよ
私の心が壊れない限りは
J-POP はどれもこれも忙しなく平板な2倍速ズンドコ・リズムなのが辛い。有名らしい人のものを聞いても少しも楽しめない。
雨が降っているから、ではないが、病院に行く。今日は内科。血圧降下剤を処方して貰うだけの定期受診です。雨が降っていて良かった。
SNS、いいねやリツイート、ブーストのような報酬がランダムに発生することによって中毒化したり、発言や思考が特定の方向に誘導されていってしまう。つまり、いいねやリツイートをポチポチするアホが、特定のアカウントを使って「思考」するニューラルネットワークのようなものなので、こうなってくると「いかにアホないいねやリツイートを排除すべきか」が思想の安全設計上必要になってくる。
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https://fedibird.com/@chino_eureka/110536661988712410
「やっぱり草刈して夏が終って」というのは、うん、そうなんですよね。
鼻の奥で有機溶剤の匂いがする。今日は塗装作業をやったからな。
一昨日は溶接作業をやったから、フラックスの匂いだった。
マスクをしなければいけなかった。
ガレージで使っている古い更衣ロッカーが、足元が錆びて腐食し、扉の開閉が困難になっていたので、足元を鋼材で補強し、ついでに塗装もしなおしたのだ。
写真は修繕作業前の惨状。
DIYで補修再塗装したロッカーがこれだ。
基調になっているアイボリーは、錆止め下地塗装が要らない油性鉄部用塗料で、乾燥が早く(夏なら1.5時間、冬だと3時間)、塗りムラが出にくいので、使いやすかった。ニッペの製品だな。
作業しやすく、仕上りも綺麗だったので、扉もこのアイボリーで塗ろうかなと迷ったのだが、せっかく扉用に別の塗料を買ってあるのだからと、扉はライトグリーンと黄色(フレッシュレモン)で塗り分けた。
キイロスキーさんに感化されてますな。
扉は錆止めは要らんだろうと、色も豊富な普通の油性塗料から選んで小さな缶で買った。コメリのブランドだが、製造はニッペだな。
ライトグリーンはそこそこ綺麗に塗れたが、黄色は散々であった。最初、塗りムラが出来て、ところどころ下地の色が透けて見えた。それを直そうとして上から2度塗りしたら、今度は表面にたるみシワができた。んもー。
まあ良い。
近寄って見ない限り、良いと思う。
鋼材を溶接して補強したロッカー脚部。
錆びて開いた穴が見えるし、完璧な補修とはとても言えない。生意気に高さ調整ボルトを付けたりしているが、その前に、本体と補強部分がしっかり溶接出来ているかどうか、全くもって心細い。
本当は腐食した部分を綺麗に切り取るべきだったのだと今になって思う。
まあ、上に象が乗るわけではないので、大丈夫。でしょう。
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田舎の家だと、神棚と仏壇の両方があって、神棚に榊を立てたり、仏壇に線香を立てたりというのは全く珍しくない。その家が天理教の信者だったりすると、その二つに天理教のお社も加わって、もっと賑やかになる。
信仰が細分化されている、とでも言うのかな。
個人の安心立命・現世利益のためには○○教、家族のルーツを祀るためにはお墓と仏壇、コミュニティとの同一化を示すためには神社、みたいな。スペクトラムの一方には個人がいて、もう一方には国家社会があり、その位置に応じた信仰を考えることが出来る。しかも、複数の信仰を許容される。
個人寄りの方は割と寛容なんですよ。ところが、社会寄りの方に行けば行くほど、自由に振る舞おうとすると周囲からの圧力が増してくる。例えば、天理教を信仰してはいるけれど、先祖は仏教でお祀りする、というのは非常によくある形です。
私の家では、仏壇も神棚も取り払って、天理教の祭壇しか残っていない。かなり硬派の天理教徒です。けれども、そういう私でも、正月には地元の神社に初詣をする。神社の持ち回り当番も受けている。そうしないと確実に村八分になる。
@Ksyzr 「村八分」という形はもう無いよ、もちろん。
けれど、村に住んでいる限り村のお宮さんに詣るのは当然だ、という意識は根強く残っています。
以下、想定される会話。
「なんでお宮さんに詣らないの?」
「だって、私はクリスチャンですから」
「いや、それとこれとは別でしょう」
「ん? なんで? かたやキリスト教、かたや神道、相容れないでしょう?」
「ん? なんで?」
「神社というのも信仰の一つでしょう?」
「まあ、そりゃ、そうです」
「私はイエス様に帰依しているので、何が何だか分らない神様に向って頭を下げたくありません」
「あんた、西洋人でもないのに、変な人やなあ」
「なんでお宮さんに詣らないといけないのですか?」
「ん、それはやなあ、昔からそういうもんですからなあ」
「なんで?」
「なんで、ったって」
・・・
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天理教の先生方の大好きな言葉が「○○させていただく」でね。ああいう言葉を無批判に使い慣れると駄目だなあと思う。
「わたくしは、(中略)という事ではないだろうかと思わせて頂くのであります」なんて平気で言うんだ。
思うぐらい自分で思えよ。
教祖だって、肉体を始め全ては神からの借り物であるが、心だけはあなたのものだ(心一つが我がの理)って言っただろうに。
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今日は雨も降らない野良仕事日和だったのだが、疲れていたのだろう、眠気に逆らうことが出来ず、10時過ぎから15時すぎまで、本格的にベッドに入って昼寝をした。
空を飛ぶ夢を見た。
乗用ドローンを操縦して、知り合いの良く知らない小父さん二人を乗せて、少し離れた地方都市まで飛んで行った。そろそろ帰ろうと思ったところで電池切れになって着陸。帰るためには単3の乾電池4本×4セットが要る(よくそれで飛んだな、お前のドローン)のだが、あいにく財布を忘れてきた。小父さんたちに頼んで、何やら怪しげなマーケットに行って、乾電池を買ってきてもらった。しかし、何か、乾電池4箇互換の充電池みたいなものを買ってきた人がいて、そのままではドローンの乾電池ボックスに入らない。え、これ、どうやるんだ、と、ドローンを分解しかけたところで目が覚めた。
落ちはありません。