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「人格高潔な天皇」
ずっと前、もう30年以上も前かな、ひょっとしたら、まだ昭和天皇が生きていたかも知れない頃のことだ。当時、この人は本当に素敵だなと尊敬していた義理の従姉が、「天皇陛下は私心が全く無い人だと思う」と敬意を込めて言ったことがあって、やはり私も絶句した。
いや、個人として良い人かどうかに関わりなく、天皇という制度は駄目でしょう? と返すべき所だったが、ああ、この人ですらこうなのか、と思って二の句が継げなかった。
義理の従姉は、天理教の教会に生れ、天理教の教会長である私の従兄に嫁いだ人であり、いわば、天理教にどっぷりと漬かって生きていた人だった。
天理教には創世神話があって、この世界に最初からいた親なる神が人間を創造したのだが、それは、人間たちが互いに助け合って陽気に暮らすのを見て共に喜びたいと考えたからだ、と説いている。神の目には人間はすべて等しくかわいい価値のある存在であるとされる。
そういう天理教の信仰と天皇制という人間崇拝の制度(これも信仰と言って良いと思う)は矛盾しないのか。
矛盾を感じない人が多いのだろうな。
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「身近な人間」て、妹さんでしたか。
私も、自分が好きな人が極めて自然な態度で天皇を受け入れている事を目にすることがよくあって、そのたびに困惑します。ひょっとすると自分の方がおかしいのかな、なんて。
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天皇制については、まったくもって、Mさん @olive11211 の言うとおりで、いや、それは違う、という所は一見して見当たらない。普通に考えればそうなるよね、としか言いようがない。
そして、だいすけさん @dai7707 の言うように、普通に考えることが出来なくなっているということは、宗教になっているということと同義だな、と思う。
明治初頭の国家神道は本当に酷いことをやってくれたと思うけれど、人を神として崇めるのが好きだったり(例えば東照大権現)、血統や家というものを信頼したり、もともと下地があったと考える方が良いと思う。要するに、好きなんだな、天皇制が。困ったことに。
天理教も、個々の信仰者が全て駄目だとは私は思っていないけれど、組織としては、割と早い時期から、「小天皇制」と言うべきものになって、日本人の社会を変えていく力を喪失してしまっていて、もう駄目です。
それで、うーん、どうしようか、という所です。