ほー
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おーゆるぽたにもよさそう
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選ばれた人ならば絶対を直視できる、という仮定に立つと、その人だけが絶対を知る者で、残りの凡人はその人に服従する、という個人崇拝の権威主義体制ができます。この場合、絶対に向かう力は選ばれた人にだけ宿ることになる。
絶対はかいま見ることすらできない、あるいは、そもそも絶対なんてものは無い、と考えると、今ある秩序の否定は無秩序にしかならないから、人は今ある秩序を守り続けることができるだけだ、という現状維持の権威主義体制ができます。この場合、絶対に向かう力は誰にも宿っていないわけです。
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(1)近代という体制は、絶対をかいま見る無数の個人の体験を、とりあえず寄せ集め、綴り合せて、なんとか絶対的なものの暫定的な候補を立てることで、成り立つ。
(2)この手続きが成り立つ根拠は、個人の中に、自分の外に在る絶対的なものに向かう力が宿っているという信念、ないし信仰である。
せやな
ここのイメージ間違ってて、科学的、という言葉を、他人を黙らせるための言葉として使う人が多いのは、日本語世界の蒙昧さだと思うがどうか
https://note.com/chikurin_8th/n/n632d9b564b53
近代科学は、同様に、真偽の判別をそれぞれの科学者にゆだねてしまい、科学者がそれぞれ勝手に探究することを通じて真理の秩序を組み立てる、という仕組みです