@monyop なんでもええんや一行だけ
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科学ではない、ということは価値を持たないことを意味するわけではない。
たとえば恋愛は科学ではない。が恋愛に価値がないとは誰も思わないだろう。
みたいなことも言うてはったなファインマンさん😁
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ケータイニュースより
ファインマンが、〜は科学じゃない、という話をしてて
「近代医学のない土地でマラリアになったら呪い医者にかかるのがよい。いちばんたくさんの患者の例を見てきているから。しかし呪い医者のやっていることは科学ではない。腹の上でヘビを躍らせてもマラリアは治らない。キニーネを飲むと治るのである。」
みたいなことを言ってたが、経済学、ちゅーのもまさにぴったり呪い医者よね。
いやこの筆者さん個人になんら含むところはないんだけど。呪術しか持たない人類の現水準で最善を尽くして頑張ってはるんやろから。
https://gendai.media/articles/-/135394?page=1&imp=0
筆者は1979年に当時外為専門銀行と呼ばれた東京銀行(現三菱UFJ銀行)に入行し、1980年代から90年代に通算約15年を外為ディーリング、とりわけ金融派生取引の通貨オプション取引のチーフ・ディーラー(後に担当次長)として勤務したので、今も昔も変わらない円相場の変動特性は体験を通じて知っている。
そっかー…
>世界に占める日本のGDPは、百年前と同じ水準に逆戻りしている
GDPは百年前に「逆戻り」 それでも日本は「強兵」路線に進むのか
https://www.asahi.com/articles/ASS871JGSS87DIFI008M.html
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ほー知らなんだ
https://withnews.jp/article/f0240812002qq000000000000000W0bx10701qq000027216A
光が丘は、かつて農村地帯として栄えていた土地。その風景を一変させたのが、1941年から始まった太平洋戦争です。「成増飛行場」として飛行場が建設されることになり、1943年6月に住民の立ち退きがあり、8月に工事に着手、4か月後の12月には使用を開始するなど、急な動きがありました。
同飛行場では大型の戦闘機の他、特攻隊も編成されました。米軍の標的となり、1945年8月の終戦後まもなく成増陸軍飛行場に米軍兵士が数台のジープで乗りつけ、まだ残っていた日本の戦闘機を焼き払ったということです。
1947年には占領軍による飛行場の接収作業が始まり、総面積180万平方メートルの敷地に、米軍家族の住宅地「グラントハイツ」として米軍家族宿舎や学校・教会・劇場・売店・将校クラブ・下士官クラブなど730棟が作られ、“アメリカの街”が生まれました。
完成したのは1948年6月。この名前は、南北戦争後に第18代アメリカ大統領になったグラント将軍に由来しています。多くの日本人も、メイドやボーイ、運転手としてここで働いていました。
建設にあたり、資材などを運ぶ目的で、上板橋駅から全長6.3キロメートルの鉄道が引かれました。鉄道の名は、当時の建設司令官の名をとって「ケーシー線」と名づけられ、「ケーシー駅」もありました。
まっこと
https://note.com/gamayauber1001/n/n065038e2d7e9
どうして、こうなってしまったのだろうと考えていた。
言うまでもない、福島第一事故を境に、日本語が急速に病んでいったことには理由がある。
どんなに社会で一致して「この程度の放射能は安全だ」と述べても、人間の本能と直覚という怖い審判者がいる意識されない心の底はごまかされないのでしょう、
それまでもテレビとネットを通じて、品性もなく、蛮性がむきだしの「ええええええ~!?」な、ダメな日本語が日本を瘴気で満たしてはいたが、あの言語の愚かしさは、まだ表層にとどまっていた。
2011年3月11日を境に日本語は言語としての意味性と真実性を失っていきます。
ほんとうではないことをほんとうだと述べてしまうのは言語としては自殺行為で、いつのまにか「日本人は嘘つき民族」だという常識ができあがってしまった。
日本語という宝石のような言語も、二束三文の出来合いの人造の贋宝石のような扱いになっていった。
それがどんなに、日本語の美しさに惹かれて、頼まれてもいなければ、自分の一生にとってまったく役にも立たないのに、憑かれた人のように、日本語の森を歩いてきた自分にとって寂しいことであるか、英語や欧州語では述べる相手がいるのに、日本語では自分自身に語りかけるしかないことを、どう考えればいいのか、いまだによく判らないでいる。