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このマッチョ(?)がすき

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謎オブジェ

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2024-08-27 18:34:43 Sengetsu Ogawaの投稿 ogwabfp@toot.blue
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2024-08-27 17:21:10 篠田くらげの投稿 shinodakurage@mstdn.jp
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2024-08-27 15:50:40 篠田くらげの投稿 shinodakurage@mstdn.jp
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2024-08-27 15:46:46 篠田くらげの投稿 shinodakurage@mstdn.jp
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そういうかんじなんや
ファインマンさんもそういうとこに育ったんやな

行ってみたいと思いつつなんか911以降、厳選して名誉白人になれるやつだけ入ってよし、みたいなかんじの入国のめんどくささになってますます、そんなしてまで行かせていただかんでもええわと行く気になれなくなり、行ったことねーな米本土
アメルィカンは好きなんだけどな概して
物怖じしなくあるべし、と教育を受けた人たち。ナイス好き

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😁

note.com/gamayauber1001/n/ne5f
ニューヨークの公園の近くで道の反対側からわっしに向かっていっせいに絶叫するひとたちにでくわしたことがある。くるまの音で 聞こえねーので、耳に手をあてる仕草をしたら、わっしの側の空を指さしておる。
そっちを向いてみたら、ニューヨークでは珍しいような巨大な虹であった。雄大な、誰かが天使の絵具で、さっと描いたような強い色彩の虹
まっ、恋人同士が終始気が触れたひとのように歌をうたいまくり踊りまくる、というどう考えても狂人の生態を描いたとしかおもわれない「ミュージカル」という変なものをつくったり、道ばたで恋を語らう、のではなくて「恋を絶叫しあっている」(ほんまでっせ)へんなひとたちではあるが、 その変態ぶりを我慢すれば、とても良いひとが多い

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絶叫するひとたち|ガメ・オベールNOTE
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おー
せやなぁ…

note.com/gamayauber1001/n/n032
思いだしてみると、情景のなかで、あれ?これはどのニューヨークへの旅行のときだったろう?とおもうものがあって、例えばハーレムのアフリカンアメリカンのおっちゃんから買ったホットドッグが腐っていて、公園で、泣きたいような気持になって、引き返して、近くのコリアンが経営する店でホットドッグを買い直すと、頭に鳥の巣が乗っているみたにチリチリにパーマをかけたおばちゃんが、手にもっていたダメなホットドッグを見咎めて、事情を尋ねて、気の毒に、子供を相手にひどいことをする、と述べて、オカネはいいから、このホットドッグを持っていきな、公園で食べちゃダメだよ、あそこは危ないから、という。

ベンチに陣取って大声で道行く女の人たちに猥褻な揶揄いを投げつけるアフリカンアメリカンのおっちゃんたちのラジオから、でっかい音でニュースが流れていて、「100度の夏」と述べるアナウンサーの声を明瞭におぼえている。

もっといけないのは、屋上で、向かいの、おおきな高層の衝立のようなビルを見た記憶も、はっきり保存されている。
強烈な記憶で、夏の華氏100度の暑さのなかで、目の前のビルは巨大な売春宿で、窓を開けっぱなしで、女のひとたちと男のひとたちが裸で抱き合っているところが、ちょうど蟻の巣を断面にして見るように見えている。

子供にとっては、その異様な光景は、たいへんなショックで、かなりあとまで、あるいはいまに至るまで、自分の人間という存在へのイメージに影響しているのではないかと思います。

ところが母親と、おとなになってから話してみると、こちらの話の途中で出てくるまるでオフィスビルの事務所のような入り口の飲茶パーラーも、公園も、たしかに知っているが、それはあなたが生まれる前の話で、あなたが憶えているわけはないでしょう、と笑っている。
第一、あの辺りに行ったことがあるのは一度だけで、と教えてくれた話を聴くと、ロンドンの家で働いていたジャマイカ系の女中さんがアメリカの実家に帰ったあと、病に倒れて、もういけないかも知れないというので、会いにでかけた。
おなかにあなたがいたので、たいへんでした、という。
当時のマンハッタンは、まだ冷房がない場所も多かったから。

まるで辻褄があわなくて、どういうことなのか。
思いたって、確かに自分が屋上に立って記憶があるビルに行くと、ビルはなるほどそこに立っているが、向かいにあるのは、あの衝立のようなビルとは似ても似つかないブラウンストーンで、ブラウンストーンなのだからあたりまえだが、20年や30年のあいだに建ったビルのようには見えなかった。

たしかに、あのビルの屋上から、通りの向かい側の、窓もブラインドも開け放った部屋で、ずらりと、腹がでた太ったおっちゃんや、面倒くさそうなところまでちゃんと見て取れる女の人達の、汗の臭いがしてきそうな、獣の営みの光景を観たんだけどなあ、といまでも合理的な説明を探してみたりする。
遠い記憶は大量の時間を隔てた向こう側にある現実だから、それでいいことになっているが、ほんとうは現在の、この瞬間もおなじなのでしょう。

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蜃気楼の実在性について|ガメ・オベールNOTE
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>戦争中に「敗北」という言葉がタブーであったように、いまの日本では放射線被害についての推測的言及は「風評被害」として非難される

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😁


以前、小説家がソーシャルメディアに書き留めたものを読んでいたら、「自分は、こんな世の中にはうんざりだから、いつ死んでもいいのだ。早く死ぬために努力している」という意味の事が書いてあって、その自己陶酔の幼稚さに驚いたことがあった。

日本語の福島事故ニュースを読みながら、結局、日本人はみな、この小説家と同じなのかも知れない、と考えた。
自分の心に訊いてみると、私は死にたいとも死にたくないとも考えたことがないようだが、いざ疾病かなにかで「もうすぐ死にます」と言われれば、では残りの毎日はマリファナとワインで過ごします、くらいのことは考えそうな気がする。
自分の基本的な「生きている」ことへのイメージは、あるんだかないんだか本当は判らない魂が肉体という道具を使って感覚を楽しみに来ているので、聴覚を使って音楽を聴き、視覚を使って絵や女や男の肉体の美しさを眺め、触覚を使って滑らかな肌を指が滑る感覚を楽しんだり、

筋肉を使ってバク転や前転をしてダイナミズムを楽しんだり、そういうことをやりにこの世にやってきた。
しかし(そんなものがあるとして)平均的な日本人は、肉体寄りではなくて魂寄りの、というか言葉よりの人生を生きている。国民ごと実験モルモットにされてしまって、未来の世界の疫学資料になった日本人が、資料たるに甘んじることに決めたのは、そういう日本人の世界への認識の仕方に関係がありそうな気がする。

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そうだったね


福島第一事故後の日本社会の印象は、we-know-bestのひとびとが肩で風を切ってあるく「権威主義」の社会、というものがいかに恐ろしいものかということだった。それには起きていることにもっと目を近づけてみれば、簡単に人間に「上下」をつけてランクづけしてしまう日本人の習慣とか、誤謬を認めない国民性、すぐに起きないことは予測がつくことでも「起こらない」ことにしてしまう国民的な癖、いろいろなことが含まれる。

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そう思う


私は科学をベンキョーしたが、そういう言い方をすれば科学の神は「知らないことをおそれよ」と述べていたのだとおもう。判らないことは、どういう影響をどんな経路でどんなふうに与えるのかさえ、いっさい予測がつかない。

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note.com/gamayauber1001/n/neb9
どうせ出来ないことならば、「出来ない」のではなくて、「やらなくてもよい」ことにしたほうが愚かでパニックに陥りやすい国民のためだという理屈なのだろう。
そういう取り決めが政府のなかで悪意で行われているわけでないことを知るためのヒントは、たとえば閣僚の「原子炉は実際には一時はコントロールできないところまでいった。しかし、言えるわけがなかった」という発言から容易にうかがえる。
彼らが酔っているものの正体は「ヒロイズム」で、自分達がウソツキになって、この難局を乗り切らなければ、この国は終わってしまう、ということなのだ。
枝野官房長官が、どんな顔で、「後で、さんざん世論の袋だたきにあうでしょうが、では、私が泥をかぶって嘘をつきます」と言ったか、目に見えるような気がする。
ヒロイズムは、こわい。
とりわけ一身をかけた渾身のヒロイズムは、それがどれほど軽薄な自己陶酔に過ぎなくても、たくさんの人間を破滅においこむだけの力をもつのは戦争中の数々の逸話を見れば容易に想像がつく。
「私ひとりが非難を被ればいいことだから」と考えたに違いない枝野というひとのヒロイズムは、結局、私の意見では日本人全体をこれから40年間の地獄につれてゆくことになった。
それがどんな地獄なのかは判らない。
現実に放射線の害によるものかも知れないが、「真実でないこと」を述べる事によって引き起こされる、もっと別の種類の危機かもしれない。

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フクシマへ 第2回 圭一の日記|ガメ・オベールNOTE