娘待(東海道新幹線が明日になってもまーだ止まってるのでみどりの窓口へ)
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さて、今回の論稿です。「「日本人」依存というカルト化が進んでいることに、11年前の私は強い不安を覚えた」と、「宗教」の語が「カルト」に都合よく言い換えられていることがわかります。「カルトの本質は無謬性にある」などと、基本的には前稿において「宗教」の説明で散りばめられていたイメージを踏襲しているようです。
(「日本人」依存だけでなく)「同時に、ずっと小規模ながら「正義」依存のカルト集団もあちこちに形成されて、その依存度を深めていった」というところが、目新しい論でしょうか。つまり「あれもカルト」「これもカルト」「社会のあちこちにカルトが」という議論です。しかし、これも別に「カルト」という語を用いなくとも、独善的であるとか、正義を独占していることを疑わないとか言えばすむような話です。試しに、星野氏の論稿から「カルト」の語やそれに直接関わる部分を抜いてみても、論旨はほぼ変わらないでしょう。現に、賢明にも論稿のタイトルには「カルト」の語は入っていません。
「カルト」の定義が一つに確実に定まっているわけではありませんし、作家が独自に「カルト」を定義してはいけないわけではありません。しかし、現代日本社会でいわゆる「カルト問題」の対応などに関わる多くの人びとは、この問題を他者の人権や自由を侵害したりする人権問題や社会問題としてみなすというのが一般的だと思います。「カルト問題」の対応に取り組むのはそこに被害や違法性、人権侵害などがあるからであって、「無謬性」を問題視しているわけではありません。「自分たちのことを何かしら正しいと思っている団体」を、あれもこれも「カルト」と見なして批判の対象にするわけでもありません。どうにも用法がずれています。
また、宗教のほとんどは多かれ少なかれ自らの教えの真理としての正当性を主張し、信奉するでしょうが、他者との接点、社会的次元での現れ方は前述の通りさまざまです。無謬性に関わる教えなどがあるからといって、「カルト」になるわけでもありません。
よって、それを用いれば「危うさ」「ヤバさ」が伝わるだろうキャッチーな言葉として、「宗教」に代わるかたちで「カルト」の語が用いられるようになっていることがわかります。
全体として、「宗教」や「カルト」などの「言葉」が実に軽く使われていると思いました。そしてそれは、「なんだか宗教っぽいよね」「カルト的だよね」と言えば、大した説明も慎重な吟味もなく「危うさ」や「ヤバさ」の印象とともに伝わってしまうような社会の理解と表裏一体のものです。本論稿は、機能的には「あれもカルト」「これもカルト」と際限なく言い合ってよいことを後押ししているように働くと思います。わかりやすい符丁として「宗教」「カルト」の語が「消費」されてしまうことの危うさを、この論稿で痛感させられました。
おーたしかに良コメや
塚田穂高さん(@hotaka_tsukada)の #コメントプラス 朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASS8V026WS8VUPQJ006M.html?comment_id=28071&iref=comment_lp_readmore#expertsComments
【視点】「リベラル」論や「正義」論については特にありませんので、他のコメンテーターの方に任せ、少しちがった角度から。
2013年の「「宗教国家」日本 星野智幸さん寄稿」と、今回のものを併せて読んだ率直な感想として、「ああ、星野氏にとって持ち出せば安心して「よくないもの」「危ういもの」として読者に理解されると想定される言葉が「宗教」から「カルト」へと「進化」したんだな、そういう風に言葉を使うんだな」と思いました。
2013年論稿では、「取り憑かれた」「ものの言い方がきわめて独善的」「教条的」「信奉」「教義」「洗脳」「異端」「信仰」「依存症」「中毒」などの言葉をうまく散りばめながら、そして星野氏がかつて出会った「政治セクト」「宗教セクト」の人びとの姿と巧みにだぶらせることで、ナショナリスティックなアイデンティティーを求めてやまない「マジョリティー」を「「日本人」を信奉する緩い宗教集団」などと論じています(「カルト」の語は使われていません)。
確かに、学術的にもナショナリズムの宗教性や、文化的次元での見えにくい宗教性という議論はあります。しかし、星野氏の議論は、何も「宗教」という言葉を持ち出さずとも、依存的になっているだとか、エスノセントリズムに陥りかねないだとか、ナショナル・アイデンティティーを切望しているのだとか論じればすむような話です。それを「まるで宗教みたいだよね」「宗教っぽいよね」とたとえて訴えかけ、それを「洗脳」「依存症」「中毒」などとつなげることで、「危うさ」「病理」のようにわかりやすく扱う論法です。宗教者や宗教団体のなかには確かにそういう人たちもいるでしょうが、他方で別段独善的でもない、諸宗教の間や、非宗教者との間で対話や協力を展開する宗教者・宗教団体も国内外を問わず多く存在します。星野氏の「宗教ってそういうものでしょ?」という論法は、自ら独善的に仕切りを設けて、切り離し・切り落としをしているようなものだと思いました。
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Xユーザーのザオラルさん✨🌈 あげた声は残るのでRさん:
「>「マイナ保険証の利用実績が著しく低い医療機関は」「療養担当規則違反となる恐れ」
これは厚労省の資料。マイナ保険証ファシズムここに極まれり。マジで狂ってる。厚労省の役人もこんなバカなことに付き合わされて可哀想。
#マイナ保険証
https://twitter.com/OneMoreChance99/status/1829507609164239078」 / X
https://x.com/OneMoreChance99/status/1829507609164239078
「まあウチでは機械は置いてるが勧めはしない。だってマイナ保険証は「任意」だから。10月から解約できることも教えてる。だってそれがなにかあったときの安全策だから。くたばれマイナ保険証。
#マイナ保険証 」 / X
https://x.com/OneMoreChance99/status/1829507610787348715
@jamesjames1910 自分では自分のこと「考察力や倫理力」(!)のある人、って思ってんのがおもしろいなー、と思いました。
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人生に意味を求めだすと人間は際限なく傲慢になる上に簡単に自他を否定するようになるんで、おすすめいたしかねるわね
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Fediverseだって人間の寄せ集めだから、理想郷ではないし、糞野郎だってどしどしやってくるし、糞野郎がサーバを作ったり(!)、鯖缶になってから糞野郎になることもある(!)だろうけど、サーバが林立していて、みんな水平に連合していて、イーロン・マスクやMetaのような手合いをトップに戴く可能性が低い分、100億倍マシだと思ってる。
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@jamesjames1910 まー床に座って本読んでた。おもろかった
これな
ギケイキ3: 不滅の滅び https://amzn.asia/d/6NdjDGq
@jamesjames1910 店はここやな
いっぺん行ってみたいと前から思ってる
https://maps.app.goo.gl/tNwzp5jbhgiJJWN1A
身近から見たイーロン・マスク評としてはおもろいが、この笹本裕って人めっちゃ評判わるかったやん。安倍政権べったりで。どの口が言うか、ちゅー話でわ
https://president.jp/articles/-/85334?page=2
「何が善で、何が悪か」を峻別する絶妙なハンドリングを追い求めることが、Twitter運営の難しさです。そして、つねにそれを追求する考察力や倫理力などが求められる。