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ハーバード大に日本学術会議…なぜ「学術研究」に圧力をかけるのか 「都合の悪い意見」を許せない悲しき権力
https://www.tokyo-np.co.jp/article/407082
せやな
💬
嵐が激しくなって、あちこちの社会の窓が振動して不気味な音を立てている。
世界は、どんどん個人に敵対するものに変わって、盾になってくれるよりは、きみに襲いかかる側に転じている。
助けられなくても、せめて、倒れた人の痛みを想像力によって感じようとする努力くらいは、するから人間なのですよね。
この世界は親切と善意によって満たされなければ最低限の機能すらしないように出来ている。
まったくであるな
💬
NHKの「72」というドキュメンタリーで、近所で200円で売っている弁当を無料で配給してもらうための長い長い列を映していた。
この長い列に並ぶだけの気力も希望も残っていない人たちは、この列に並んでいる人の何十倍何百倍という数でいるのは、たいした想像力がなくても判ることで、そのことを思っていたら、涙が出てきた。
ベンチに仕切りをつくって寝転がれないようにする役人や、
夜更けに「社会にとって有害な」ホームレス人たちを襲撃して気勢をあげる若いひとびとには、人間の一生というものがどういうメカニズムのものか、まるで判っていない。
失敗も成功もないノッペラボーな社会の信奉者が多い国では、なおさら、そうであるようでした。
世界が嵐に突入したいま、真っ先に荒れた海に放り出されて溺死を強いられるのは、「弱い者たち」だが、その「弱い者」は別に恒久的に「弱い」わけではなくて、いま、たまたま上手くいっていないだけだ、ということが理解できない社会は、はっきり言うが、呪われるべきだと思います。
どんな個人も社会のために存在しているわけではない。
逆です。
社会が個人のために存在している。
転んで倒れた人がいれば、躊躇なしに、助け起こして、しばらくのあいだ支えるのが社会の役割で、それが出来ない社会など、社会の名に値しない。
まして、倒れた人間を、わざわざ踏みつけにいく人間がいる社会など、ないほうがましなのは、当たり前のことに属する。
きみもぼくも、どうせたいしたことのない人間同士なのだから、せめてお互いの無力を気遣って、相手の復活が少しでも早くなるために出来ることをやるのでなければ、人間の社会だとは到底言えないでしょう。
琵琶湖1000杯分以上とかなにそれヤバイ
💬
中国湖北省にある「三峡ダム」は、世界最大級の水力発電ダムとして知られていますが、このダムは満水時に約40立方kmの水を蓄えられるそうです。オリンピックサイズのプール1,600万倍、琵琶湖およそ1450杯分になります。
https://www.gizmodo.jp/2025/05/the-dam-slows-down-the-earths-rotation.html
おもわずカーネルサンダースの名言集よんでる😁
ちょっと涙でそうになるな
💬
1980年12月16日に90歳で白血病でなくなるまで、自慢のレシピに基づいてつくられたフライドチキンを全国で食べ歩いて、「おれのレシピでつくったフライドチキンが、こんな味のわけはないだろう!」癇癪をおこしてフライドチキンのトレイを床に叩きつけて、店員や客を唖然とさせたりした逸話が多く残っているが、そのときの装束が、例のあの、日本のKFC店の前にたたずんでいる「カーネル・サンダース」です。
あ、また、こんなところに来て、へんな話してる、と思ったそこのきみ、
まあ、そうなんだけどね、
なんで、こんな話をする気になったかというと、何度か、「ホームレス」は、人生の一時的なスランプの状態なのだという話を、書いたでしょう?
19歳で、どん底生活に陥ったシャーリーズ・セロンの話は「シャーリーズ・セロンの場合」という名前で青土社から出版した「ガメ・オベールの日本語練習帳」という菊地信義装丁の美しい本に入っている。
いまパッと思いつく芸能界の有名人だけでも、ハル・ベリー、ジェニファー・ロペス、シルヴェスター・スタローン、シャナイア・トゥエイン、最もよく知られた例ではチャールズ・チャップリンも、そうです。
あるいは作家に眼を移しても、スティーブン・キングは「キャリー」がヒットするまでトレーラーハウス生活が長かったし、J.K.ローリングが離婚後、実家の援助も受けられず、人をバカにしたような金額で有名な生活保護(インカム・サポート)だけを収入の頼りに、幼い娘ジェシカを連れて、家に暖房を入れるオカネもなかったので暖房があるコーヒーショップで、粘って、文字通り自分を救済するために「ハリー・ポッターと賢者の石」を書いたことは、知っている人も多いでしょう。
なかでも、カーネル・サンダースは、はっきり言ってしまえば、どこといって取り柄もなく、立派な人格の持ち合わせもない、どこにでもいる了見の狭い老人でした。
それでも望みを捨てずに、自分が夢中になって紙切れに書き込んだ、一枚のレシピだけを頼りに、いわば自分が自分であることのアイデンティティを信じて、諦めなかった。
自分自身というたったひとりの友人が、諦めることを許さなかった。
“I made a resolve then that I was going to amount to something if I could. And no hours, nor amount of labor, nor amount of money would deter me from giving the best that there was in me.”
「自分に持ち合わせがあるベストのものを注ぎ込もう」と決めた人間は、例え他人から見れば「おかしな年寄り」で「なにやってるんだ」と嘲笑すべきことでも、強いもので、最後には、彼は、望み通りの「老後」を手に入れる。
「たかがオカネを稼げた、というだけの話ではないですか」と言う人はたくさんいるが、わしは、同意しません。
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@yamakaw 27年間お疲れ様でした。人の命を、人生を預かるお仕事の大変さは想像もできないほどだと推察します。この先のブログも読ませて頂きます!
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