一時的などうとかこうとかではなく、年々、鬱傾向が強まってきてる。一つはコロナ禍。そこから人に会うのがどんどん億劫になってしまった。フードストレージもダメージがでかい。知らぬ間に気づいたらとんでもないことをしていたが、あれのせいでめちゃくちゃ削られた。ああいうやり方するとこうなるのかっていう。だからみんなきちんと制度化してるんだろうけど、その時はそうするしかなかった。で、半年前、コロナ罹患。ここから体調不良や変化を如実に感じるようになり、ほぼ心死にかけ状態。
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
一時的などうとかこうとかではなく、年々、鬱傾向が強まってきてる。一つはコロナ禍。そこから人に会うのがどんどん億劫になってしまった。フードストレージもダメージがでかい。知らぬ間に気づいたらとんでもないことをしていたが、あれのせいでめちゃくちゃ削られた。ああいうやり方するとこうなるのかっていう。だからみんなきちんと制度化してるんだろうけど、その時はそうするしかなかった。で、半年前、コロナ罹患。ここから体調不良や変化を如実に感じるようになり、ほぼ心死にかけ状態。
おそらくコロナ罹患以降、睡眠の質が劇的に下がってる。無呼吸なのではないか。日中も同じような状況というか、常に喉がつまる感じがあって、これが大変不愉快。
楽しくなればいいなあくらいに思って、地元でいろいろイベント企画したり、あれこれ人を集めたりしてたけど、数年かけてじっくりと知り合っていっても、本当にほぼ全員、若者は地元を出ていく。気に入ってた店はどんどん消えていくし、どうしようもないのかなと。
どうしようもなくない!って人たちはほぼ全員、補助金のお世話になってると思うので.....「ほぼ」ってつけたのは一応つけただけで。
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ネガティブな投稿ばかりですみませんね。心配してもらいたいのではなく、壁打ち。書きながら、自分の心の整理です。
「努力」は、失敗してもいいけれど成功の可能性があるからするのであって、それがないと感じられたら、もう次はない。ネタがない。社会自体が閉塞していき、ものの値段もどんどん上がる。値上がりだけならまだしも「質の劣化」「量の減少」をしてこれかと。
もちろんお金かけずに生活しようと思ったら工夫はできるし、するようになった。たとえば本は基本、もう買わない。買わないよ。高い。高すぎる。その本っていうのもどんどん質がおかしくなっているようにしか自分には思えない。図書館に行くようになった。でも、そういうことして、世の中どんどん退屈になっていってて。退屈になってるのは自分なだけかもしれないが。
人と話してても言葉が通じなくなった。話、マジで聞いてない。もちろんそもそも人は人の話なんてろくすっぽ聞かない生き物なのだが、それにしたって、聞いてるよってフリ自体がたいそう下手になった。理屈も通じない。だから説得や納得も生まれない。その割、恐怖には弱いから、強そうな人のいうことはなんとなく聞いてしまう。辻褄合わせで生きていて、その辻褄すら雑である。
時代ってのもあるし、年齢ってのもある。やっぱり思考力や言語運用力、落ちてくるところもあるので。あとは生活に必死。だからみんな権力持ちたがるし、持つと権力使って、人に言うこと聞かせて楽をしたがる。というか、それをしない場合は誰からも「はいはい」と適当に扱われる。
昔からあるものが好きすぎるのか、今最近出てくるものにときめかない。どころか、自分には「改悪」「劣化」にしか見えなかったりする。「これがそうじゃない」ように解釈したり理解はできるけれど、肌感覚として合わない。
ネットも「こう言えばウケる」「森さんいい人だーってなる」のはわかる。でも、それが正しいことだとは思えない。どんどん世界から、世間から、世の中からズレていってるのがわかる。これが老いか。
そして、一度、世の中からはみ出してしまったら、違和感はどんどん大きくなる。SNSなんか典型で、一回そこから出ていくと、なんでその中ではそんな過剰に攻撃的な表現を伴った極端な論旨が正しくて、それ以外は「間違い」どころか「悪」なのか。わからないこともたくさん出てきた。
「おっさん」排除にも疲れてきた。おもしろい場所は、女性や若者【も】いるからおもしろいのだが、そういう場所に行くと、遠慮させてしまうのではないかと思ったら、できるだけ出ない、入らないに限る。おっさん同士で仲良くしろ? その「おっさん」がつまらないって知ってるくせに......。孤独になると今度はいう。「もっといろんなところに顔出してみたら?」。もうめんどくさい。一人でいる。
そういう意味でオンラインゲームがすごく楽しいのかもしれない。誰も相手の本当の年齢を知らない。というか、話題や声の感じからして、ほとんどが十代。20歳を超えると皆「じじい」「おばさん」を自嘲しはじめることからお察しである。一度なんかあまりにもこちらのゲームが下手くそで「幼稚」だったので「お前、中坊だろ、彼女いねえだろ、童貞だろ」と高校二年生から煽られたことがある。40代でもうそろそろ中学生の娘がいると言ったら「マジっすか」と急にあらたまられた。年齢気にせず付き合ってくれる感じがよかったのに。
声でまず「男」と決めつけたり、「彼女」と異性愛前提だったり、童貞バカにしたりと、すごくダメなカルチャーもあるし、自分もどんどんそこに染まりそうになる感じもあって、苦手な世界でもあるんだけど、でも「おっさんでも若くてもなんでもいいから」「キルだけきちんとしてくれれば文句ねーから」って世界は心地がいい。問題はそのキルが取れないことにあるわけだけど。
こういうこというと今度は「おっさん差別ですよね?おばさん差別は怒るのにねえ」みたいな感じで近づいてくる人もいて、それもいやだ。「おばさん差別」と同じには扱えないでしょ......。でも、もう「おっさん」呼称は自分の中では「ちょっと無理」になってきてる。別に自分は言われて傷ついたりとかはないんだけどね。
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たぶんもう答えが決まっていて、言葉が通じない(徹底的に自分の声だけを聞いている)から言っても無駄だろうけれど、この手の言説って「男性性論」で流行ってるけど、それこそただの逆転したマッチョイズムで「つらいなんてて言うな!」「「言うなら上に言え!」とかもうそんなのなので。むしろ「自分はおっさんからは距離を取れてるぞ!」と思ってるから出てくる言葉なわけで。
まあ、世間で言われる「おっさん」の特徴の一つが「人の話を聞かない」「聞いていて理があってもなるほどとは絶対に言わない」頑固なところだとは言われているので、まあ、そうなんだろうがと首肯しますが。
この手の属性によって、これを言ってもいいとか誰には言ってもいいとかやった先にある差別の一つがトランスジェンダー差別だったりすると自分は認識しているので。
そもそもが、他人が「いやだなあ」って言ってることに同意や共感を示すことすらなく、持論を展開するのって「有害な男性性」とか呼ばれてませんか? (私はその手の「有害な男性性論」にすら一部おかしいという考えを持っていますが)
こういうこと言っても「そういう側面もあるかもな」「今はわからんけどなるほど、ちょっと考えてみる」とかもないんですよね。
杉田俊介が弱者男性論とかやってますけど、見てたら「弱者男性だけど耐えて耐えて耐えてマッチョに陥らないようにするしかない」みたいなことばっかり言ってたので「なんかむしろそのメンタリティがマッチョだと思った」と本の感想をつぶやいただけで、大激怒ですからね.....。それこそ属性でくくっていいなら、この手の男性論を唱える男性には、自説の開陳以外の柔軟な態度は取れないもんなんでしょうか。
あと、フツーに、他人のことを「おっさん」とか「おじさん」とか侮蔑的に使うのって、エイジズムじゃないの? いや、エイジズムなんて差別でもなんでもない!と言う人なら、まあ一貫性はあるとは思いますけれど「あらゆる差別に反対!」とか言ってる人が、そういうこと口にするの、少なくともある種の矛盾が内包されているのではないかと思います。
そもそも、一定以上の攻撃性を持ってる中年男性、その攻撃性自体が問題だと自分は考えます。攻撃性を弱い人や権利のない人に向けたくないから、そうじゃない方向に、って理屈はわかるし、そうなる気持ちも回路も自分は共感するところもありますが、そもそもの問題として過剰な攻撃性の発露自体が「合法的に殴れる相手を探してる」状態で、ぶっちゃけDVやパワハラと根っこは同じだと思います。
反差別だとか言って常に殴る相手探してる人、いるじゃないですか。あんなのももちろん同じ手合いですよ。自分が誤ってることを認められないんです。だからこちらはメンツを潰さないように気をつかってる。中年男性のメンツを潰すの、こちらも怖いし、相手も辛いだろうから。すでにあるその気遣いの上に成り立っているコミュニケーションやSNSのやり取りを、単に気づかずにいられてる自分の特権性こそ可視化したらいいのに、と思います。
人前でメンツを潰されることを絶対に許せなさそうな人が、「おっさんとは?」とか語ってもなあ......。
まあ、関係ないんですよね。プラットフォームがどうとか。そうじゃなくて人の問題。簡単な論理や論旨が追えなくなってる。論理も相手がこう言ってるのに対してこう、ではなく、延々関係ない自分から見たらこうです!の論旨展開。そういうのを延々するけど、相手に「メンツつぶさないようにしなくちゃ」とか考えさせてるから、中年男性、マズいとか言われてるのではないですか。
「Aだ」というのに対し「だとしたらAならばBなのでBですけど、Bでいいですか」みたいな話しても、みんな「Cだ!」って全然関係ないことを言うのが「反論」だと思っていて、要するに単にアホなんですよ。
何度でも繰り返しますが、いきなり人のことを「おっさん」呼ばわりして侮蔑するのって、エイジズムじゃないんですか。差別じゃないの? そういうこときちんとしたほうが。
それとたとえば中年男性だからこそ持ちがちな権力やその濫用やらの問題ってまたあるし、全然違う話ですよね。
SNSしてると、自分のことは賢くて理屈が理解できてるとなぜか信じ込んでる頭が硬いだけのどうしようもない人ばかりでどうしようもないのですが、別に両立可能な主張を「反論」や「否定」として持ってくるんですよね。「このいちごおいしいなあ」に対し「残念でした!それは赤なんですよ。赤い野菜なんですよ!」などと言ってくるっていう。
私だって、別に中年もしくは老年の男性が、たとえば女性にマンスプしたら止めますし、そういうのは男性だからでやってることなのでダメなんですが。でも、それと他人をいきなり「おじさん」のようにカテゴライズして、その人が取れるコミュニケーションスタイルを限定していくことが、一体「反差別」と何の関係があるんですか?
これに限らないけれど、こういうふうに「いや、それは別のことやがな」っていう話をどんどん分けていけば、主張も対立せずに、同意点探れるかもしれないのに、SNSは「対立」こそが生命線なので。ある時から急に「AだからといってBだとは言えない」ではなく「Aだといったな!Bだ!」式のごちゃまぜばかりが幅をきかせるようになった。
常識を疑え!って本当はとても大事な態度なんですよ。疑うからこそ常識も鍛え上げられるわけで。常識の中には特定の人間を差別するようなものだって多分に含まれてもいるわけで。ところが、アホが常識疑っても今度は「差別をするのは差別じゃないかもしれない!」みたいなことしか出てこないので危険なんです。
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エアリプするのも何なので、単刀直入にお聞きしたいのですが、エイジズムは差別ではない、とお考えですか?
@kowaoto dn.jp
マストドン、まあ、争いをしないでみなバラバラに生きようよ、っていうノリが強くて、そこはいいところでもあるのかなと思うんですけど、他方でエアリプし放題ですよね。よく引用RTが問題だって言う人いるけれど、エアリプし放題な方もたくさんいらっしゃる。
@kowaoto エアリプされたからといってエアリプするのもあれなので、きちんとお聞きしたいのですが、まず、侮蔑のニュアンスをこめて「おっさん」呼称するのって、エイジズムじゃないのですか? (考えを知れたらと思ってお聞きしています)
ツイッターよりもマストドンのほうが最近はヤバいなって思ってます。引用RTもなければ人口も少なく、また「中心がない」構造だから、あっちとこっちがくっつかず、棲み分けできているというのは「いいこと」でもある反面、誰からも何のツッコミも入らなくていい状態でどこまでも自分の好きなことを好きなように言ってるだけの、言ってみれば「匿名のフェイスブック」みたいになってる。
なんかリプライまでしておいてあれだけど、自分の中で解決した(どうでもよくなった)ので、ブロックしときます。お幸せに。(このお幸せには皮肉ではない)
@oyster エアリプどころかリプライすら常に無視してます。単純に私の精神状態が今不安定なだけです。
単純に同じ言葉を別の意味で解釈してるだけなんだよね。たまたま文字面がどちらも「A」ってだけで別の話してるのに、「お前はAのことを理解していない」みたいなことを言う。「はし」で橋と端の話してる。だから違うんだよって言っても多分理解しないのが人間です。
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それよりも大事なのは、相手のプライドをくすぐることで。人は自分の考えを変えません。そんな他人のことは「幸せで!」以上に特に何も思わないことがほとんどだし、そうであるべきなんでしょうね。
他人が「辛い」と気持ちの吐露をしているところに、エアリプで自説の開陳だけする、自称「俺はおじさんであることをとっくに引き受けてる初老の男」って、①他人の気持ちや感情に対するケアや共感、理解がまるでできていない。②他人は所詮自説の材料でしかない。③自分のほうが認識が上!という突然のマウンティング、相手がたまたま男性なだけの「マンスプ」マインド。みたいな点で(他にもあるけれど)、「ザ・よくないとされている中年男性しぐさ」そのものなんだけど......。
で、これに対して、私が「おっさん」という言葉に対して持つ理解が間違ってるとかおかしいとか、まったく
論理的に関係がない
んですよね。この「論理的に関係がない」ことが理解できてない人が非常に多いというか、なんかSNSってわめいたもん勝ちな場なんでさもありなんって話ですが。
マストドン、ツイッターのような他人からのツッコミがないので「他人からのツッコミに耐えられない」人たちの「好き放題の言い場所」になってる。ツッコミが入らない、入りにくい、入ってもそこまで燃えないのは「より実験的に考えたり意見ができる」というメリットはあるけれど、他方で正しい指摘であっても「うるせえやつはクソリプ扱いで即ブロ」ってメンタリティが加速し、結局のところ「facebookで自説開陳」とそんな変わらなくなっていったりする。
要するに私に対する指摘がぜんぶ「その通り」だと仮に認めても、↑の話は1mmも動かない。もちろん認めなくても動かない。里山にりんごの木をいくら植えても、私の髪の毛は一本も増えない。当たり前の話でしかない。
だから、まず、世の中の「俺はおっさん引き受けてるぜ」って言ってる自称おじさん、全然おじさんを引き受けたり反省できてないんですよね......。「おっさんってカテゴライズが辛く働くときってあるよね」に対して「うるせえ!気合いいれろ! お前は加害者側なんだ! 耐えろ! 弱音吐くな! お前はまだおっさん歴が浅いからだろう? オレほどの経験値を積めばそんなこともなくなる!(謎マウント)」って、それどんなマッチョよ......。
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真面目な話、そういう「我々が!!自覚的にッ!!マッチョで有害な男性性をッッッッ!!主体的にィ!!破壊するッッッ!!」式の主張、①それ自体が気合いと根性のマッチョイズムでしかないし、②そんな簡単にそんな粗雑な仕方で解体できるのが構造だと思ってるなら問題をナメてるとしか言いようがない。
「おじさん」であることがこの国で「幸福」であるとはとても思えないのは、各種調査やアンケートから、明らかに日本の中年男性は幸福感が低いからで。これが結局「他人の幸福も認めない!」ような他罰的な構造になっているからなのでは?と自分なんかは思うんだけど、そこで「おっさんって辛いよね」と口にしただけで、「オレのほうがおっさん歴長い!おっさんが辛いなんて弱音吐くなんてあめーんだよ!オレみたいにおっさん性と向き合え!」とか言われたり「女のほうが辛いんだよ!」とか言ってくるの、そのこと自体がこの国の宿痾だと思うんだが.....。根性気合い合戦してどうする、っていう。
で、そのことと女性より男性のほうが圧倒的に優遇されているシーンばかりってことは何も矛盾しないし、むしろ「つながってる」ことなのでは?とも自分なんかは思うわけだが。まあ、通じないよね.....。
映画の感想、自分とはかなり見え方が異なると思ったけれど、中身にきちんと触れてるレビューで本当によかったな。中身に全然触れない「レビュー」「記事」ってなんなんだよ、って話だが。
「屋上で遠くを見つめるホリ先生の、横顔と、風と、広い空の感じ、そこにブオーンと響く金管楽器の音が気持ちよかった。冒頭から不快感が続いていたので、ようやく気持ちよいシーン見ることができたなぁって思った。」
まさに。でも、あの気持ち悪い音が気持ちいいって感じすごくよかったんだよね。
自分の男性性と向き合ってる!みたいに言ってる男性、だいたいほぼ例外なく、プライド高くてシバキ根性まみれのクソ。
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ツイッターよりもマストドンのほうが最近はヤバいなって思ってます。引用RTもなければ人口も少なく、また「中心がない」構造だから、あっちとこっちがくっつかず、棲み分けできているというのは「いいこと」でもある反面、誰からも何のツッコミも入らなくていい状態でどこまでも自分の好きなことを好きなように言ってるだけの、言ってみれば「匿名のフェイスブック」みたいになってる。
半田そうめんいいよ! 弱点が一個だけあって、茹で時間が長い! なので最近は島の光とか揖保乃糸をよく食べます。
自分が「それ、差別ですよ」って指摘されたり、明らかにエアリプ見て「言われてる」って気づいてるのに、それ受け入れられないでしょ。他方で他人には一刻の猶予も与えないの。人権も大事だよ。正義もとても大事。でも人間に対する理解や、他者への共感もとても大事。大事なこと、かたっぽだけどっかに忘れてきてない?
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あ、プラットフォームなんかどこも同じよ、だいたい。単純に気分でコロコロ変えたらいいじゃん、ってだけ。
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単純におもしろい人が減った。あと、真面目にやってる鯖缶が報われなさすぎ。問題はあることあると思うから、それは指摘したりすればいいけれど「育てていく」とか「経験を積み上げていく」とか「学習させてく」みたいな発想ゼロ!だからどんどん熱量失ってくし、「ここ」も「そこ」も一緒なら、慣れてるほう、人がいるほうに行くってだけの話。それでも残る人らは誰からもツッコミ喰らわないのをいいことに、実質、匿名のfacebook状態。
つまんね
他人には厳しいくせに、自分は何か言われても、もうみんな誤魔化す誤魔化す。なんだそれ。付き合ってらんないよ。
いいねしたり、リツイートした人がトランスヘイターだからとか、それチェックしてとか。やる人の気持ちもわかるし、自分も正直認知的不協和バリバリなので、一度聞いたら「いいね」もリツイートもしにくくなるのだけど、それ言ったら「Twitterは胴元自体がトランス排除的なので使わないで!」みたいな話になる。そもそもその考えを突き詰めていった場合、同じ正義に同意したミニマムな集団だけで情報のやり取りをしろするべきという話になる。本当にそれが行動として効果的なのかどうか、迷ってる。
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聖なる証。原作がある意味「叙述トリックのミステリ」で、リアリティレベルをどこに設定しているかがわからないため、語り手は何も嘘をついていないにもかかわらず読者はまんまとミスリーディングされてしまう。他方であれは京極堂そのもの、『陰摩羅鬼の疵』と同じ系統なので。ところがもうそこのリアリティをつくるのにドラマでは失敗してる。途中原作にはないカップリングも開いた口が塞がらなかった。冒頭、舞台のセットから入るイントロも、工夫したのだろうが、これじゃ単なるペテンだし……ってか、見ていて退屈で何度も寝そうになった。俳優はいいのに脚本が悪い。原作は見るwatchが「見る」と訳されていてテーマが明らかだったけど、映画は「観察」と字幕。でその点も違和感。誤訳とかではないけど……。とにかく原作ではスピード感持って飛ばしまくってるのに、映画は冒頭からだるっだる。これってこの感想って私だけ?まさか褒めてる人いる?
世の中の人の「ものを見る目」を根っから疑ってるので。なんか名詞で見てるでしょ。誰監督とか、何て言ったとか、脚本誰で……とか。自分は作品しか見てない。どんな名作でも自分に退屈なら退屈、おもしろければおもしろい。それはなぜかを考えるってだけだから「騙される」ことがない。
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『星のせいにして』もとてもいいんだけど、自分はラストが気に入ってない。やたらにエピソードをくっつけたがるの、映画的で好きじゃない。映画ってなんか「お金もろたんでできるだけたくさんエピソードとか見せますね」みたいになってて、いや、別に事件とかこっちは一切期待してないんで、っていっつも思ってしまう。
『怪物』も校長先生とミナトとのあのシーンでお終いで自分としてはそれでいいんだけどな。「美味しいシーン」が多すぎるの、あんまり好きじゃない。
「無限なんたら」とか「万能なんたら」みたいなレシピの味付け、たいてい同じで、要は油とニンニクと辛味と醤油と砂糖とお酢ともちろん旨味!っていう「全部乗せ」。