キンコン西野の話 - 毎日の特別な風景が年収という名の宝物👀 | standfm https://stand.fm/episodes/6488dcd677d0d1aaa7623e10
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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黒澤映画の羅生門ってどうなってるの?あれも「事実が食い違う」系?それとも単に「叙述視点が三つある」だけ系?
そもそも証言事実が食い違うって話と、それぞれの証言事実だけで構成した「真実」が食い違うって話は全然違う話ですよ。前者が芥川の『藪の中』で後者が『怪物』。
見えてる世界なんてぜんぶ違うんですよー、だから事実も真実もなんもわかんないんですーって話と、「たった一つの視点だけでは見えない真実がある」って話はまったく別で。『怪物』はどちらかというと後者じゃ無いですか。
それこそ「ネタバレ」になってしまうから具体的には書けないけど、『怪物』、作中でクィアの関係性を複数の当事者に肯定させているので、単なる相対化、どこの視点も正しくないよね?とは全然違うんだよね。もちろん他に瑕疵はあるかもしれないし、ガンガン批判はなされるべきだけど、こうした論点もろくに拾われてなくて、刺すがに粗雑にすぎると思う。
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あれ、瑛太だって最初わかんなかったよ。全体的に画質も悪くて(森が見た映画館では)、最初は特に顔も表情わかりにくくてさ。でもそれについても「キャラ変わりすぎ。おかしい」とか言ってる人いて、こうも「わかられない」もんなのかと。
カンミさん @pantabekanmi とのポッドキャストでカンミさんが「是枝裕和はどこか神視点」と言っていて、それでずっと考えてたんだけど、確かにこれ「人にはそれぞれ事情がある」「見え方が違う」みたいな相対化のように一見取れるけど、どちらかというと「それらをすべて見ることができて編集もできて、なおかつ視聴者をミスリードして、真実を明かすこともできる万能の神、兼、魔術師」が是枝になってるんだよね。実は相対化の真逆。
「真実なんてわかんないよね」じゃなくて「これくらいの視点ないとわかんないよね。あ、これくらいっていうのはオレくらいの視点ね?」になってる。是枝監督は『誰もしらない』だけ見たことあるんだけど、あれも当時見て「誰も知らないことをお前=監督は知ってるってことね」と引っかかった覚えがある。相対化じゃなくて「絶対視点」が引っかかるという見方もできる。
でも、ここが是枝裕和のデリカシーであり、脚本の良さでもあるんだけど、実は神視点の是枝の、その画面の中に映ってないものが『怪物』にはたくさん映ってるんだよね。ネタバレになっちゃうから言えないけど「画面のそと」をきちんと映画の中につくってる。これは監督の非常に優れた倫理だと思う。批判するにしても賛同するにしても、こういうポイントはきちんと拾わないといけないのではないか。
単なる相対化でも、神視点でもなく。真実に近づくために、様々な視点の事実を集めていかなくちゃいけないんだってメッセージになっている。
「画面に映ってないものが映ってる」にどれくらい気づけるか。実は坂元裕二は「そういうこと」をする脚本家でもあったりする。『カルテット』では「確認しないで勝手に決めつける」ことの例として「唐揚げにレモンをかける」を出していて、作中、様々な「勝手な思い込み決めつけ」を批判していたんだけど、一つ、ツッコミが入らない「決めつけ」があって、それが宮藤官九郎の松たかこへのプロポーズなんだよね。「結婚したらマキマキになっちゃうか」(まきさんという名の女性にマキという姓の男性がプロポーズ)みたいなことを言う。これにツッコミ入らないままスルーするんだけど、絶対わざとなんだよ。そういう「いじわる」を坂本はする。
「ぜんぶわかった気になってる」無邪気な視聴者の死角を「画面の中に映さずに」映すというか、ボケっぱなしにするというか。『怪物』は、だからコメントの仕方によって「お前がどこまで見えているのか」という、こちらの死角がバレてしまう作品でもあり、だから中身へのコメントが非常に「難しい」。この作品を評論する側としては「ネタバレ配慮」と言い訳して自分を守ることもできるわけだが。
まあ、でも、この作品を褒めたら「差別」なんでしょ。そういう断定こそ問題視してる作品なんだけど。となると今度は絶賛なのかってそういうことじゃなくて。違和感持ったり、強く拒否したくなったりする感覚は間違ってないと思うし「何か」あるんだと思う。でも、それがその正体が既存のわかりやすい特定の概念やフレームワークではないかもしれないし、明らかになるまで時間がかかったり「待つ」必要があるかもしれない。中立だの傍観は違うけれど、すぐにライトオアロング?ってすればいいわけではないし、その二つは違うことだよね。
粗雑な、拙速な「差別認定」が別種の差別を惹き起こす可能性、暴力を不可視化する可能性に、我々は常に留意するべきだと思う。
映画『怪物』を見てカンミさんと話しました。よければ聞いてください。かんっぜん「ネタバレ」気にしてないやつです。
"『怪物』を見た" by パフェと肴. https://podcasters.spotify.com/pod/show/parfaitetpoisson/episodes/ep-e25n3p2
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大阪日日新聞が来月末で休刊とのこと。私もお金に余裕があるわけではないけれど、新聞がきちんとした報道をできるようにと5月まで新聞を購読して支えてきた。いつも書こう書こうと思いながら思いとどまって書かずじまいになっていたことを、せっかくの機会だし書いておこうと思う。
マイナンバー法にせよ改正入管法にせよLGBT理解増進法にせよ、新聞やテレビが報じないって言うんだよね、みんな。それでファックス送ったりメール送ったり電話をかけまくったりする。
でもさあ、そんなの常識的に考えて相手されるわけないじゃない。購読者かどうかもわからないような人からそんなの送らてきても、あるいは支持者でも後援会の関係者でもない有権者かどうかわからない人からそんなの送られてきても、FAXはそのままゴミ箱にポイだしメールは迷惑フォルダーに振り分けがいいところ。
しんぶん赤旗は報じてますよ。じゃあみんな購読して応援してるのかって話よね。購読者になってから投書したら重みはぜんぜん違うよ。
RT: 「大阪日日新聞」7月末で休刊のお知らせ | 大阪日日新聞 https://www.nnn.co.jp/articles/-/65228
みんなで自民党の党員になれないかな?ってのは考えたことある。なれるかなれないかで言うといろいろあるんだろうけど「そっち」で発想するのも自分はアリだと思うんだよね。
敵対したり抗議したりするだけが抵抗じゃないんだよね。「同化する」とか「大絶賛する」っていう「嫌がらせ」だってある。
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てか、似たような手法使えば、いくらでも「差別反対」をうたったサーバを潰せる、ってことじゃないですか。
それと管理人のモデレーションをあまりにも強く要求していく動きに対しても疑問を持っています。というのも、mastodon.lolの経緯を目にしていたからですね。認識間違いあればご指摘いただきたいのだけど、確かハリポタのゲームについて投稿している人を報告する人がそれなりの人数いて、管理人が「それだけでは処罰の対象とならない」と回答したところから炎上、ナチ呼ばわりされた管理人が「それじゃ管理はできません」ということで閉鎖されてしまったという。
急いで付け加えないといけないんだけど、たぶん多くの人は当事者含めて「ゲームをやってるってだけでアンチトランスとみなすことはないのでは?」と思っていると思う。
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なんでリベラリズムかっていうと、正義は一つだとしてしまうと、それ以外の人たちを許せなくなるから。だから形式性だけで中身には踏み込まない、基本自由に価値を信じていいですよーとしたんだけど、でも、それだとリベラリズムってマジョリティに圧倒的に有利なのよ。だからそれだけじゃダメですよねってことなんだけど、「もっと介入しろ!」をどんどんやってったらリベラリズムである必要なくなってくる。
ギャロップの漫才のリンク貼ったらハゲネタなので差別なのでアウトだから通報。対応しない管理人は差別者。金属バットのネタへのリンク貼ったら金属バットはエイズ揶揄するネタを以前していたことがある差別者なので差別者肯定するのは差別なのでアウトだから通報。対応しない管理人は差別者……
みたいなバリエーションはいくらでも思いつく。
差別はもちろんいけないことだけど、その学習ができずにどんどん硬直していく環境もどうなのかと、すごく問題に感じているが、どうすればいいのかわからない。
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差別をするクソ差別者VS私たち反差別
みたいな二分法的思考、すっごく根強くあるでしょう。それで差別したら「クソ差別者」に認定されるので、間違いがあっても認められない。「間違い」を通じてこそ学習があるのだけど、こと差別の問題では「安心して間違えていいんだよ」とは言えない。そこが一番の問題なのに。
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キンコン西野の『夢と金』。すごくおもしろかった。一番よかったのは「この世にヒューマンエラーなどない。あるのはシステムエラーだけだ」って一文。河野太郎の前で同じこと言ってほしい。
できるだけセーフなスペースを求めるのはわかるけど、サーバ側の管理だけで完全には現実問題できないよ。通報もするとして、ブロックやミュートの活用も大事だと思う。
あともう結論出たんじゃないですかね。まずはローカルタイムラインのないフェディバード。「反差別」をうたうサーバはむしろ同様の手法で標的にされるリスクが高いので、関係ないサーバにいるほうが良い。おすすめbookworm.msです。
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自分のマストドンのテーマは「間違える」なんだよね。Twitterはフォロワーもそれなりの数に増えてしまったし、歴史もあるので「間違える」ができなくなった。そうなると何か投稿する時にも、なんとなく大多数の意見を意識して、そこと相反しないように、みたいな気持ちになってしまって。もちろん間違わないように気をつけることは悪いことではないのだけど、結局、そこで考えられてるのはただの自己保身だったりする。その場はよくても本質的な理解がないから、新たに学習ができず、結果どんどん自分が錆びついてる意識があった。
今朝見てきた映画を絶賛するだけでも、ものすごく勇気がいるようになってしまった。もちろん間違いは避けたいし、大失態はしたくないけれど、でも、今の自分と正直に向き合って、本当にダメならダメだしもしていただいて、納得がいくまで、ゆっくり時間をかけて腑に落としていくしかないんですよね。それをサボったら、今は良くてもすぐにダメになると思う。
自分もそろそろまたキャンプとか行こうかな。てか、他人の投稿あまり見ないようにしてる。壁打ちって便利な言葉があるけどそれ。
自分は喋りながら考えるから。喋んないと考えられないし、喋るなかで前と考え変わってるしね。そういう意味でものすごくアウトプットというか、ノイズが多い人間なんだけど、それでいいやって思ってる。
リアルに人間に1on1で話していってしまうと、聞く方が大変だしさ。そもそも最近は人に「話聞く」能力をまったく期待しなくなってきた