もう起きてるけど何か問題でも?
モバイルバッテリー探してるんだけど、なんでもいいわで適当に買うとお金がでてくだけだし、不満も見つかるし、結局買い直すんだよね。かといって本気で探すとなかなか条件に合うものがないし、高いっていう。
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世界観違うので共感はしないけど共有はしたくなる。そんな言葉ってあるよね。ない? やっすい「共感」がこれだけ溢れてる世界だと、もう誰とも「共感」なんかしたくねーよってなる。それでもたとえば「同じ」体験をする。お互いのいいもの好きなものを共有することはできると思ってて。「同じ」ものの感想が同じとは限らないし、そこがいいしそれでいいんだけど。
不思議なのはみんないいねとかブーストとか欲しがること。いい文章はいいねとか全然集まらないよ。SNSに集まる人、基本センス悪いから! いいねもらっても仕方ないし。センスいい一部の人が見てくれてたら、それで十分だし、それ以上はもらわなくていい、邪魔だよね。
Inoreaderもフィード全然見てないからなー。なんとなく「漏れがないように」といろんなニュースメディアをつっこんでしまうんだけど、そうすると結局「Twitter見てりゃ話題は勝手に流れてくるじゃん」と同じになる。それよりも目的にゴリッゴリに偏らせて情報ソースを絞った方がよさそう。
ニュースや「情報」を取りにいこうとするからストレスたまるんだよね。目的持った情報収集はいいけれど、なんとなく「流れてくるから」だと職場の悪口みたいなノリで、SNS上の人間関係が流れてくるだけになる。
ジャンルごとに考えるといいと思う。行きたいところ。読みたいもの。習いたいこと。つくりたいもの。結構忘れがちなのが「やめたいこと」。タバコ、酒。SNS、なんてのもあるかもヨ。
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「おもしろいこと書けた!」って時はSNSではたいてい反応悪いです。「当たり前だけどつっこんでおかねば」とか「うーん、まあ、これ言うと、こういう反応する人がいるんだろうな」ってことを書くとバズる。みんな「自分がわかること」に引きつけて話を理解しようとするので、おもしろいこと書いても「既存の話」化される。そういう意味で基本センス悪い人が多いって思ってます。思うようにしてる、というか。
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こういうこともワザと言ってて、なんでかっていうと、SNSはすぐ「集合化」しやすいからです。すぐに他人と自分と違いがなくなって、#みんな一緒の意見ということに連帯します ってなる。私は尖ってますんで理解されません、違うんですって根本のところでとっても大事なことだと思ってるんですよね。上手くいえないんだけど。
見てるとみんなSNS上で「仲間」に嫌われないように、はぶられないように、言うこと顔色見て変えてるんですよね。そうじゃないって言うかもしれないけど、そうとしか見えない。自分は「あんまりお友達いない変わり者枠」みたいなんに入っておこうかなと。
というのも、最初の頃、結構Twitter上の人たちと仲良かったんですよ。それこそよくリプライくれたし、ちゃんと返信も返してた。でも、それやってると、やってる人って他の人とも同じようなことやってて。で、攻撃されたときに集団でやり返したりなんかしたりしてて、そういうのがすっごくしょうもなく思えた。一時期から自分はツイッターでは基本リプライを返さなくなりました。一度か二度会ってるような人とも、中違いしたわけじゃないのに、SNS上ではやりとりなし(笑)。でも、フォローはしあってます。
マストドン、500字なのがほんといいな。しゃべるように書ける。文章を書くつもりない。とにかくここでは自分は「しゃべってる」意識。現実世界では話し相手がいないので......。マジで話してもそれに対して「受けた」ってリアクションなく、全然関係ない自分の話されるんだよね。それがすっげー嫌で。SNSでもそういうことがどんどん増えてきてて嫌になってて。でも、もう諦めてて他人からのリアクションをほとんど期待してないっていうか。だけど、自分はとにかくしゃべりたがりだから、思いついたことはどんどん書いてネットの海に流していくし、流したそばから忘れちゃう。頭の中は常にからっぽにしておきたい。なんでそんなことするの?って思うかもしれないけど、そうしないと苦しいって人がいてそれが私なの!
徳島来てから、人と話してる感じしないことがすんごい増えて。たとえば、相手の話に対して、自分が「そうは思わない」と否定してるのに、否定したということを無視して話続けられる流れの「会話」がめっちゃ増えたんですよね。三木那由他の本でコミュニケーションをするとはある種の約束事をすることだって話があって。つまり「そうは思わない」と森が言ったということはそのことを前提に会話は進まなきゃいけないんだけど、まるでそんな森の発話がなかったみたいに話が進むわけ。それで「あー、これ、コミュニケーションじゃねえな」ってなって。
でも、そうこうしてたらネットもそういう人が増えてきた。要するに人間ってコミュニケーションするものだと思ってるけれど、コミュニケーションが下手な、あるいはほとんどできない人間って結構多い。というか、そっちがむしろ主流で「できる」人のほうが数的には少ないんじゃないかと。
でも、コミュニケーションできない人たちを非難するのって、ある意味では違いますよね。コミュニケーションってどちらかのルールを押し付けても仕方ないものだし。それこそ下手するとニューロダイバーシティの否定になってしまう。勝手にコミュニケーションのルールを前提するのはよくないことだと思うんだけど、でも、コミュニケーションであるからには、こちらの発話によって何かが約束されていかないと話にもならないのではないかと思ったり。最近はなんかそういうことを考えてます。伝わるか、これ?
「これおもしろいよね」って指差してるのに、「ほんとほんと」「めちゃ同意」「わかるわー」って言いつつ、指で指してる対象ではなく、指先のほうをみんな見てくる、みたいなことがすっごいあるんですよ。
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糸井的なものってなんでああなんだろうなってぼくも考えるけど、なんていうか、もう日本では根本的に政治の自由がないじゃないですか。基地反対つっても追い出せない。トマホークなんか要らないって言っても買わされる。そうなるとこの現実を不愉快を感じずに受け入れる受け入れ方のほうが流行ってしまう。
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デュアルモニターにしてみたんだけど、ありがたさを今のところほとんど感じてないんだけど......。むしろモニターの明るさで目が痛くなって困る。首も動かさなくちゃだし。
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@SO_pckjapan そうなんですよね。そういう作業用に試してみてるのでいいんだけど、意外と気ガチるなと。自分はバーチャルデスクトップとか使いこなしてるので、技術書読みながら勉強とか、そういうとき意外は特に必要ないかも。
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つなぐだけっすよ! デスクトップの設定だけでいける。ちなみに森のはPop!_OSっていう+inuxディストリビューションです。ウィンドウズでももちろんオッケー。
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もちろん心情としては「連帯します」なのだが、もうその手のTwitterの政治手法が古い。限界あるんじゃないか。
だから対立という燃料が広告収入なんだもん。そういうSNSになってる。仁藤さんには支援が必要。でも、敵対するポリティクスをしてもミラーリングして喜ぶだけ。あいつらクソフェミをボコることで俺も正義に貢献するっ!ってバカだから本当に思ってるんで……。
「連帯します」のハッシュタグ、盛り上がりたい人はここに行ってケンカしてくださいにしかなってない気がする。もちろんこれだけのひとが応援してるよという可視化になるわけだけど、そもそも正しさって数だったっけ。それだったら暇アノンも正しいことになる。そうじゃないだろっていう。
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善意で正しいことをすることが望んだ結果になるとは限らない、むしろその逆、最悪の結果すら出てきかねない。そういうことを学んだほうがいいのではないか。
倫理的に「正しい」ことをやることが悪を減らす、抑制することに必ずしもならず、むしろ燃料を投下してしまう。心理学的なレイヤーで対処しないとダメなのではないか。
気持ちはわかるし、自分だって「連帯します」っていつも書きたくなるけれど、なんかそうやって、どんどん本人たちが制御できないところで【巨大な対立】の渦に巻き込ませるの、どうなんだよ。そのやり方でやっても、「お、また次のネタ来たぞ!」としか思ってない。
石川優実さんがカワダさんやアリスさんを意味不明に(ほんと意味不明に)攻撃した時も「カワダさんに連帯します」「アリスさんに連帯します」みたいなタグできてて。気持ちわかるんだけど、それやられちゃうとどうやっても対立固定されちゃうし、本人はケンカをやめることができなくなってしまう。
「連帯」ってそもそもなんなんだよって話だし。具体的には何をすることになるのか。Twitterで「立場を表明する」だけじゃないか。既に裁判にもなって弁護団までできてる案件で。
明らかにいじめだし、嫌がらせだし、こうした構図の攻撃は許せないこと。それは表明すべきだと思う。それと実際の金銭的支援は大事だなと。ただ。対立を外野から固定するような、なんかそんなあり方が長年のTwitter擦れでイヤになってきた。
「連帯」と言うとカッコはいいけれど、要は他人のケンカに薄いリスクで割って入ってるだけ。そうやって大ごとになって一番リスクが高く危険になってしまうのは本人なのに。Twitterしてるだけのことを高尚に言い換えて、無責任を責任を背負った行為であるかのように偽装する。そうした側面が「連帯します」タグにはある。
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