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📚 ロラン・バルト『小さな神話』
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バルト、文章が比喩的すぎてだいたいわからないのだが、このエッセイはこの人文章とか言葉というものがすごい好きなんだなということが伝わってきたので、読んでよかった。でも最初から最後までなに言ってるかまったくわからないのもやっぱりあった。

このフロベール評がとてもよかった。好き。その通りだと思う。
>シャブロル(映画監督)とフロベールの違いは──その違いは大きいが──、フロベールが一度たりとも《物語(イストワール)》を書かなかったということである。フロベールは自分の目的を深く知っていたので、自分のリアリズムの価値が些細なもののなかにあることを承知していた。彼はまた、世界が意味しているのは、世界が何も意味していないということであるのを知っていた。フロベールの天分とは、こうした記号とその意味内容のあいだの悲劇的なデフレーションにたいする意識と勇気のことである。

主旨と関係ないけどわかると思った一文。スピーディーに壊れるものが正とされはじめた時代だろうか。
>アメリカ式の生活における品物の目的は、それがスピーディーに壊れることであり、品物の材質はこの使用法の範囲を超えてはならない。

一番よかった『円卓会議』というエッセイ、ものすごい雑に言うと「作家の座談会(話し言葉でなされるもの)ほんとダメ」という中身なのだが、猛烈に同意した。私は基本的に作品外で作品の意図とか裏話とか設定とかを聞くのが嫌いなので…
>エクリチュールは、他のあらゆる言語活動の拒否からできている。

>(前略)注釈をつけようとしている作品と同じく真摯に、それと同じ旋法で歌われないかぎり人をうなずかせることはできない。エクリチュールに関する考察は書いて示されるしかないのだ。

なんなら作家はなるべくすでに死んでいてほしい(ひどい)派なのだが、似たようなことをきれいな言葉で言っていてわかる…てなった。「作者の死」を表した人だしな。それは物理の死じゃないが。
>作家は自分の言葉をその言葉そのものの厚みのなかでしか語りえない。われわれを感動させる作家の唯一の《説明》は、たいてい墓の彼方からの声である。

ただバルトの文章そのものは別に好きではない(ひどい)

09:59:52
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わかりにくいUIを次から次へ無限に浴びせられ白髪になってしまう新パターンの悪夢を見た。もしかしたら地獄も現代化されていて、そういうのになっているかもしれない