21:40:06
icon

『神話論理』とかそれ以降の本読んでいるとき、さすがにこじつけでは…て思うことは多々あるのだが、べつに神話のストーリーを論じているわけではないからよしんばトンチンカンだったとしてもかまわないのがずるいんだよな。
1万年前の人でも連れてこないかぎり神話の原型なんてわからないし、おそらく原型と断ぜるものはないし、『神話論理』はこうやって読み解ける可能性があるという提示であり、神話の原型に真の意味らしきものがあったとして(無いんだが)物語をきいた一人が全然違う受け取り方をしたとしてもその人の生い立ちに照らしてそう捉えられたのだということはわかるのでそれも本旨のひとつなのでほんとずるい

21:38:29
icon

レヴィ=ストロース、好きか嫌いかで言ったら好きなのだが、書いてること99.9%くらい理解不能で、章末に0.1%くらいわかった気になって他の本も読むとそれがまた多少上がるのがめちゃくちゃに気持ち悪くてしかもわざと体験させられている感じなのがほんと気持ち悪くてそこが好き

17:09:56
icon

三代歌川広重《大日本物産図会 羽後秋田疑冬之図》
search.homma-museum.or.jp/sear

これと似た写真を最近どこかで見たなと思ったらこれだ。秋田のフキ大きいんだなあ
『聞き書 秋田の食事』県北鹿角の食より
x.com/imgnbkpro/status/1709792

Web site image
C000191-1961|三代 歌川 広重|大日本物産図会 羽後秋田疑冬之図|公益財団法人 本間美術館 Homma Museum of Art
14:50:18
つづきも良すぎて死んだ
icon

ここだけ載せても意味不明だけど、思わず書き起こしてしまった。自己家畜化話にもつながりそうだが、《栽培化された思考》どっぷり人間が、うまいもの(ありきたりでなくその場その話にしかはまらない表現)ほしい感覚はこれだったのか??てなってでんぐりがえってる

>大雑把な言い方を大目に見ていただけるなら、隠喩は、「二方通行可」の路地のようなものである。異なったコードに属する項どうしを代置するとき、隠喩は次のような直観にもとづいてそれを行なう。すなわち、より高い位置から見ればこれらの項は同一の意味場を共示する、と。この意味場こそ、分析的思考による分割への努力にもかかわらず隠喩が構成しなおそうとするものである。ジルベラーの夢における隠喩は、抽象を具象に代えるのではない。あらゆる隠喩と同様、それは、原義あるいは比喩いずれにしても、あり来たりのことばで表現されれば内容の貧しいものになってしまうひとつの観念に、充実した意味をとり戻させるものなのだ。言い方を換えれば、隠喩は、《栽培化された思考》が用いる提喩を一時的に失効させることによって、《野生の思考》が実現する遡行的な過程によって成り立っている。ヴィーコに続いてルソーもそのことをよく理解していた。ただ彼らは、比喩的あるいは隠喩的言語が、情念あるいは感情から直接生じると考え(ヴォルテールも同じ考え方をしていた。「隠喩は、自然な隠喩の場合、情念に属する。比較は、精神にのみに属する」)、それが意味作用の総体的構造の本源的理解であると考えることができなかった。ところでこうした理解は、悟性の作用なのである。

14:04:25
icon

『やきもち焼きの土器つくり』最終章の、褒めてるんだか貶してるんだかみたいなフロイト分析めちゃおもしろいのだが、そこで引用されていたルソーの一文がかっこよすぎて死んだ。

>(諸民族における言語表現は)思考の根源そのものから養分を得ている発想力が民衆の言語活動のなかに発現したものにほかならない。この命題を支えるために、フロイトは十分な根拠をもってルソーの『言語起源論』第三章の命題を引くこともできたであろう。すなわち、「最初に生じたのは比喩的な言語であり、その厳密な意味は、最後になって見出されたのである。……はじめ人は、詩によってのみ語った。理性的思考はずっと後になって行なわれるようになったのである。」

はじめ人は詩によってのみ語ったんだよ!!!!かっこよ!!!! またこの文そのものも、現代ではより比喩的に感じられることがたまらんな。
ウイルスは瘴気だったしプラズマ+窒素の肥料効果は稲妻=豊作だったしパニック障害は谷崎の『恐怖』だったりしてきたのに、最初から前者がわかっていたように言うやつに会ったとき使おうぜ