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忘れないうちに 全身麻酔直前直後の備忘録日記 :seibun_hyouji::手術の痛みや苦痛の表現
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16:30頃から手術の予定です、と聞かされていたので、読書しながらのんびりくつろいでいた15:30頃、看護師さんがバタバタやってきて「呼ばれちゃいました」と言った。前の人の手術がかなり早く終わったらしい。「えっ」「ええ?」とかそんな返事しか出来なかった。立ち会い予定の妹もまだ到着していなかったが、慌ただしくベッド周りを片付け、病室を出た。緊張する間もない。点滴台をゴロゴロ転がしながらエレベーターに乗り込み、手術室のデカい扉の前に到着してもなお、はぁ…マジでやるのか……というか、他人事のような感覚だった。だってあと一時間は後だと思ってたんだよ。心が追いつかねえわ。
 名前と生年月日を五回くらい復唱した。手術室はほんとに全面が薄緑色だった。仰々しい大部屋に対して手術台はひどく小さく見えた。入院が決まってから、闘病や手術を題材にしたコミックエッセイを何度となく読み返したので、(漫画で読んだやつだ……)とか呑気なことを考える余裕がまだあった。退院した今になって振り返ってみても、今回の一連でもっとも恐怖が強かったのは、精密検査の結果告知を聞かされる直前、診察室で十五分ほど先生を一人待っていた時間だと思う。誇張抜きに震えていたあのときに比べれば、手術台に腰掛けた自分は、平静と言っても良いくらいだった。
 心電モニタのケーブルやら酸素マスクやらが装着される。主治医の先生が到着するまで十分ほど、看護師さんがこちらを和ませようとしてか雑談を振ってくれる。「麻酔に何秒耐えられるか数える患者さんもいるんですよ」とかそんな感じの。そうなんですねえ、とこんな時でも薄く笑って相槌を打つ自分がちょっと滑稽だった。手術台の上、もはや身動きもできないのに。
 麻酔しますね、という呼びかけがあったかはよく覚えていない。周囲の会話から、あっもう点滴に麻酔入ったのか、と察したんだったかな。およそ三秒くらいだったか、何か、こう、うっすらと舌に甘味を感じたような気がするけれど、「麻酔 甘い」で検索しても点滴麻酔に当てはまる経験談は出てこなかったので、きっと気のせいだったんだろう。眠気はなかった。意識が遠のく感覚もなかった。電気を消す感じ。パチン。
 電気が付くように意識が戻った。気道から呼吸用の管を抜管されたはずだが、覚えていない。呼びかけられた記憶も今はない。気づいたら終わっていて、周囲の会話——「手術時間、三時間四十五分……」とか、そういう状況確認——が聞こえていた。ちなみにこの数字は適当(流石に忘れてしまった)だが当たらずとも遠からずのはず。15時半に手術室へ向かい、病室へ戻ったのは20時過ぎだったから。手術前後の準備やら片付けやらを踏まえてもこれくらい掛かったんじゃないか。
 本来の手術予定時間は一時間だったから、覚醒と同時にかなり困惑した。困惑が去る前に、猛烈な寒気が襲ってきた。絞り出した第一声は「寒い……」だったし、病室に戻ってもずっと震えていた。8月末の病室で毛布を何枚も掛けられた。後から調べたら、全身麻酔の影響で体温調節機能が鈍くなることもあるらしい。
 おまけに吐き気もセットだった。これも全身麻酔の副作用。若い女性かつ乗り物酔い体質だと吐き気を伴いやすい、と、これもまた後から調べて知った。先に教えてくれ。吐き気止めを筋肉注射してもらったが、効く前に限界が来た。金属質のトレイと看護師さんの手をぎりぎり握りしめながら嘔吐した。前日の絶食、当日の絶飲で、当然ながら胃液しか出ない。胃液とは言え水分が喉を通過して少し楽になったのを覚えている。早く水を飲みたかったが、術後3時間は何も飲めない。
 この辺りで妹が病室に戻ってきたんだったかな。いま何時……と呻いたら20時半とのこと、こんな時間まで夕飯も抜きで付き添わせてしまって申し訳ない気持ちになる。顔を見ようにも仰向けになれなかった。準備時間も含めたら4時間半は固い手術台の上で身じろぎでも出来ずにいたからか、手術の傷以上に腰が猛烈に痛く、横向きでしか寝られなかった。腰が痛いです、とひたすら呻きまくった。看護師さんがさすってくれたり枕を充てがってくれたりした。ありがたい。
 帰宅する妹を見送って以降の記憶は一気に曖昧になる。気絶なのか睡眠なのか、切れ切れに覚醒を繰り返しながら、気づいたら消灯時間だった。暗い病室に心電図モニタの光が眩しかった。左腕の血圧計(あの膨らむ奴)、両足のフットポンプ(血栓防止に延々と脚を揉んでくるクッションみたいなやつ)が定期的に圧迫刺激を加え、めちゃくちゃ鬱陶しい。術後三時間は酸素マスクをするらしいのだが私は朦朧としながら早々に毟り取ってしまい、呼吸が苦しくなったときだけ装着していた。口呼吸の癖が抜けず、酸素の風が口内に当たってしんどいことこの上なかったので。全身麻酔のせいか手術の傷のせいか、鼻からの深呼吸がうまくできなかった。浅い呼吸を繰り返し、心電図を見上げ、こまめに巡回してくれる看護師さんの気配を感じていた。0時過ぎに絶飲が明けたので、少しだけベッドを起こし、水を二口飲ませてもらった。もっと飲みたかったはずなのに二口で力尽きた。
 気づいたら窓の外が明るくなっていた。腰の痛みがマシになり、吐き気もさっぱり消えた。手術の翌日から歩くなんて到底無理だと昨晩は思っていたが、案外だいじょうぶだった。ベッドを起こし、水を飲みながらぼんやりと午前中を過ごした。昼食の重湯は半分くらい食べられた。腹部が張るような感覚は、術後に体内に残った炭酸ガスだと、今は(調べたので)分かる。午後にはトイレまで往復歩行し、尿道カテーテルが抜けてさらに楽になった。読書する余裕も取り戻した。15時には見舞いの友人と談笑さえできた。昨晩はあんなに大変だったのに、人体って不思議なものである。
 全身麻酔中って呼吸が止まるんですよね。だから気道に挿管する、知ってたけど実感としては知らなかった。文字通り、私の人生において最も死に接近した数時間、医療の手が十五分でも止まったらそのまま死ぬ、そういう状態を通過して帰還したのかあと思うととても感慨深い。医療の進歩に感謝しかない。2度ほどナイチンゲールにも感謝の祈りを捧げた。ほんとに。
 
 最後に、手術して良かったのは怪我(に対する人体反応)への解像度がべらぼうに上がったことです。今後の小説作中で怪我描写するときの参考にするね……。