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発売から25年。『ファイナルファンタジー6』のキャラたちが今も愛されるワケ | マグミクス - (2) https://magmix.jp/post/16696
中にはスポット参加や任意によるパーティー編成などの条件もありますが、それでも10名以上のキャラクターの内面を描いているからこそ、それぞれのプレイヤーが感情移入できる”お気に入り”を見つけやすかったのではないでしょうか。

 もちろん、その根底には劇場でオペラを歌うセリスや世界の崩壊、ダリルの死を乗り越えて再起を決意するセッツァー、自身が仕えていたガストラを自ら殺めたケフカなど、数々の名イベントが織り込まれているのは言わずもがなです。

 キャラクターの人物像を映し出すのに必要不可欠なイベントシーンに目を向けてみると、テキストを中心とした良い意味での”簡素な表現”が、テレビの前に座るプレイヤーの想像力をかき立て、「このキャラクターはきっとこんな人物なんじゃないか?」という具合に、各々が持つイメージ像を補完するキッカケとなりました。言わば「プレイヤーにとっての理想的な主役」が出来上がったといえるでしょう。

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発売から25年。『ファイナルファンタジー6』のキャラたちが今も愛されるワケ
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ネットにつないだらロックがめっちゃ叩かれててびっくりした。二股とか、死体愛好家とか……いや、恋人の死を受け止めきれず、弱い立場の女性を見ると恋人を想起するほどトラウマを負ってて、伝説の幻獣に頼って蘇生しようとしている(そのために亡骸を薬品でとどめて傷まないようにした)のが実際であって、死体を愛好しているわけでもティナとセリスを保険にしているわけでもなかろ……と私は今でも声を大にして言いたい。死体愛好家っていうとあたかも死体しか愛せないかのような口ぶりで全然受け入れられない、っていうか死体愛好家て言いたいだけじゃろ。

ロックにしてみればたまたま恋人が死んでるだけなんですよ、遠くないうちにフェニックスを発見して生き返るはずなんです、だってロックにはフェニックスを見つけ出すスキルだってあるんだから(ここまでは明確に狂った主張)。けれどセリスの何かが恋人に似てて、そして冷たい物言わぬ恋人よりも目の前でツンデレしているセリスに好感を持ってしまったのは、何かおかしなことですかね?

トラウマについてはもちろんロックが自分で片をつけなくちゃならない問題で、誰を巻き込むのも良いことではないけれど、かといってティナとセリスを放っておくのが正しかったのかというと、そうではないのがだいたい一致する意見なのでは。「お前は救われなくちゃダメなんだ!」みたいなのをマイルールに加工して理不尽を押し付けるのは良くないけど。……そういう意味ではセリスに恋をほのめかすような態度取るのは良くない。

まあゲームは架空のドラマなので、好きなら好きでよし、嫌なら嫌でよしよ。ただゲームで提示されて普通に読み取れる範囲のことを、子供のころの感想のままで分かったかのように語られちゃうと、ロック好きな私としては「なぜそういう解釈になるのだ」と黙ってはいられないで、今さらこんなことを書き連ねちゃうのであった……

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あとから聞いた話だけどストーリーは結構つぎはぎだったらしいですね。本当は崩壊前で終わる予定が、急遽崩壊後を作ることになったとか。うん知ってた(キャラの性格がころころ変わるあたりとか一貫性がないから)。

でも人生に迷いながらも生きていく人たちが好きになったのは、FF6が初めてだったと思う。「帝国の将軍としての自分以外の生き方」を少しずつ模索していくセリスのたどたどしい様子が(実は品質上の粗によるものだったとしても)何とも人間らしくて好きだった。ゾゾを出発するまでは喋り方が硬いんですよね。オペラ座に着くと女言葉で話すようになっていて。ロックの、レイチェルの姿とティナへの過剰反応を目の当たりにして、いろんな思うところがあったのだろうなあ……とか考えちゃうわけ。普通の人ならドン引きするはずのところを、セリスは受容してるじゃないですか?たとえ過去の殺戮への贖罪半分だったとしても……

そういう、何かしらの心の傷や弱点を突かれてほだされてしまう姿が、とっても人間あるあるで好きなんですけども。自分の隙間を埋める代償としての恋愛が、いずれ本物の愛情に変わっていくだろうところ、素敵じゃないですか?