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「自虐史観」が統一教会批判の根拠だったら、現実には自虐でも何でもないんだから統一教会のやることは問題ナシってことになっちゃうよねぇ…
小林よしのり氏あたりはまぁ、「自虐史観」という概念を自明のことのように考えてるだろうから、さもありなんという感じではある。
QT: https://mstdn.jp/@rna/109470870373461600
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男性学の内容が「男性個人の内省」に偏っていて、あまりきちんと社会構造に繋げた論立てが出来てない、というのは私も割と感じるところではある。(このとき https://togetter.com/li/1052372 にも少しそんな話をした。)
ただ、「性的な欲望についての語り」は確かに男性学においてあまり見かけないとは思うけれども、それが本質的に重要であるかというとどうだろ、という感じがする。
性的な欲望を男性学的に語るといっても、多くの場合、借り物のフェミニズム由来の概念を引っ張ってきて「反省」してみるか、粗雑な本質主義に走るか、どっちかになるのが関の山ではなかろうか。
どちらでもない形で自身の性的な欲望を語るのは、なかなか簡単ではないんじゃないかな。
それに、男性個人の性的な欲望が社会構造との繋がりを考える上で重要か、というのもよく分からないところ。
社会構造との繋がりを考えるのであれば、個人の欲望の内実よりも(それを深堀りしたところでどこまでも「実存的」な語り以上のものにはならないと私は思う)、「『性的な欲望』の社会における位置付けられ方、語られ方」を掘り下げていく必要があるのではないか。
その意味では、松浦優さんの「対人性愛中心主義とシスジェンダー中心主義の共通点」は面白いと思う。
https://mtwrmtwr.hatenablog.com/entry/2022/11/30/211753
これに関して、ブログ筆者の人とTwitterでやりとりしたのをまとめたので、こちらにも繋げておきます。
ブログ記事『科学における「キャンセルカルチャー」論争』に関するTweetとやりとり - Togetter
https://togetter.com/li/1983288
「クワロマンティック」というセクシュアリティ概念を寡聞にして知らなかった。
なるほど「恋愛感情とそれ以外の感情(友情など)を区別しない」ってことね。
https://lgbter.jp/noise/0183/