英語の「Standardization」よりドイツ語の「Normung」のほうがずっと短い。
友達と話を合わせるために文化を消費するという意味で、僕にとっては(あなたにとってではない)、J-POPを聴いてドラマを観ることと、ボカロ曲を聴いてアニメを観ることとは等価だ。消費の労力が同じならば、話を合わせられる人数が数倍になる前者を選ぶ。でも結局どっちも面倒くて消費してない。
大学合格を祈願するために修験者になって修行している浪人を「勉強しろ、勉強!」とどつくというオチは、吉田戦車にしては常識的すぎたと思っている。