02:09:45
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@gnusocialjp@gnusocial.jp 学歴については、哲学や社会学ではなく、理学や計算機科学の分野になりますが、あなたが信頼するような程度の学位を学部・修士とも持っています。(学歴や専門についてべらべらと話すと、あなたのような人以外の人には尊大な印象を持たれますし、検索すればおそらく実名が判明してしまうので、あくまで学問的に真摯な態度で信用してもらうように努力しています。)学問的な概念をていねいに引用して読み込み、ゆっくりと議論するスタイルが取れれば私は嬉しいですが、大して重要な話題でもないし、そこまでのエネルギーを使う余裕はどちらにもないと思います。ただ、そのような議論を理想として、謙虚でいたいと考えています。

SNS上の投稿では感情的な暴論や畜群の臆見にすぎないと見えるものであっても、理性的に分析して考えると、正義や倫理学上の問題を反映している場合も少なくないと思います。

1. 犯罪の根本原因は犯罪者であり、土地ではありません。一方で、統計的事実として、土地が犯罪リスクに相関しています。このように、根本原因ではないが、統計的に相関するという現象は、社会的な現象にはよくあることです。

このような現象に関しては、社会正義の観点から、発言を「自己検閲」する必要があると考えています。たとえば、知人による犯罪のうち、黒人による犯罪率が高いという統計があった場合、「リスクを最小限にするためには、黒人の友人を持つべきではない」という意見は事実としては正しいものになります。しかし、このような行動を皆がとると、黒人が社会から疎外されるという結果を生みます。これは生まれつきの平等という原則に反し、不正だと考えます。したがって、事実の指摘というレベルを超えて、「正しい」行動として「黒人の友人を持つべきではない」という主張をすると、社会正義に反すると言えます。

葛飾区は、他の近隣区と比べて犯罪率が顕著に高いというわけではありませんが、地価が比較的安いため、生活資金に比較的余裕のない人が集まりやすく、一部の地域では「住民のマナーが悪い」「治安が悪い」という印象を持っている人もいるかと思います。しかしながら、相対的に地価が安い地域に、相対的に生活レベルの低い人が集まるという構造は、個人の努力で回避できるものではありません。相対的に生活レベルの低い人は結局どこかに住んでいるため、社会全体で考えた場合、引っ越しは何の解決策にもなっていません。

一方で、ある地域に住むことは、人間関係の継続や、地域の歴史や文化への愛着といった人格的利点、すでに整備されたインフラや財産の享受といったメリットがあり、居住の自由というのはこのような利点を受け取りたいという価値観を尊重しますよという国家社会から個人への約束であると考えています。住居は単なる生存の手段であり、もっとも経済的に合理的な場所に住めばよいという考え方もありますが、そうではない価値観を持つ人もいるので、社会契約を守る必要があると考えます。

このような観点から、「犯罪リスクの高い地域に住んで犯罪に遭うのは自己責任であり仕方がなく、引っ越すのが正しい」と主張することは、社会正義に反するのではないかと考えます。「国家社会は住んでいる地域によらず安全を保障する義務があるが、そのような義務の履行に不十分さを感じる場合、個人としての立場でいえば、無理をしてでも引っ越すという選択肢もある」という主張なら理解できますが、国民主権の国家の住民として、そのような主張であっても無責任で非道徳的な態度である可能性が十分考えられ、反発を招くのもやむを得ないと思います。

2. 誰が知恵・知識のある人間であるのかは頭が悪い人には判断できません。むしろ、見せかけだけ頭の良い人の言うことに従い、さらに間違った信念を信じ込んだり、騙されたり搾取されることがよくあります。

親、上司、教師、コーチ、コンサルタントなど社会的な地位があっても、知恵や知識が保証されているわけではありません。

したがって、頭の悪い人に対して「頭の良い人に従え」と教えても、逆効果が目に見えています。さらに、頭が悪い人にとっては、「私」は詐欺師以下の頭の良さにしか見えていないため、「私」を「頭の良い人だ」と信じる根拠がなく、単に尊大な態度をとる人だと判断せざるを得ません。

さらに、自分が相手より頭が良い場合でも、個人的な事情を神のように何でも知っているわけではないため、「もし~~が幸福にとって最も重要ならば~~すべきだ」という提案はできても、それを「私の言う通りにすればうまくいく」とは全く言い切れないはずです。自分の予想に反して、相手の頭が自分より良く、言外の制約条件により、自分が最適に違いないと考える行動をとらないということもあります。

このようなことから、「私の言う通りにすればうまくいく」という発言は良くて不毛であり、悪くて害悪であるため、発達障害があったとしても、徳のある人間が公言すべきことではないと考えます。

02:41:23
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@gnusocialjp@gnusocial.jp 「徳のある人間が公言すべきことではないと考えます。」という発言は、「このような発言をするあなたには徳がない」という意味ではなく、「あなたには徳があるはずだから、「私の言う通りに...」というようなことは言わないべきなのではないか?」という意味です。

03:22:23
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いきさつというのが特になくともこのようなことをいうのが私といういきさつがある

03:25:34
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cunnyborea.topのブロックを今更ながら解除した(招待制への移行と適切な管理を観測したので)…とはいえ特に接点のなさそうなサーバーではある

03:27:44
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これライセンスもかなり緩くて太っ腹なんだよね

RE:
https://m.aqr.af/users/Aqraf/statuses/113426085678482344

23:15:36
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怒涛の返信タイムを始めないと

23:51:14
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@gnusocialjp@gnusocial.jp
長文にかかわらず、全て読んで返信いただきありがとうございます。
私が議論している点は、「しごく真っ当なこと言ってるだけなのに、お気持ちに寄り添えとか、不当な言いがかりをつけられている」という認識が正しいかどうかという点です。社会変革のための効率的な手段については、私は主な論点にはしていません。

1. マクロな社会の秩序や安定性を脅かす発言は、社会から排除されやすいです。そのような排除に対抗するためには、マクロな立場からみても、論理的に正しく正当だという基礎があるべきです。マクロな立場からみて、不当・不正な発言を自分が公にした結果炎上してしまうのは、周囲の頭が悪いせいではなく、自分が間違っているからではないかと私は考えます。

自分が不動産屋で、「治安の不安を根本解決したい」と個人的に相談されたわけでもないのに、「根本解決したいなら治安のいい地域に引っ越せばいい〜」というような「事実」を提示することこそ、場や文脈を考慮しない頓珍漢な発言と思います。

ASD者は頓珍漢な発言をしてしまいがちであり、そのような発言を周囲から咎められる機会も比較的多いかと思いますが、自分の思った通りの議論にならないことを「頓珍漢」と表現し、他者を牽制するのは建設的だとは思えません。定型発達者からASD 者に向けられる「頓珍漢なことを言っている」という幾分攻撃的な意見を内面化しすぎているように私は感じました。

2. ストレスを感じたから、それを社会的な正しさを考慮せずに不満のように書いてインターネット上に一般公開し、ストレスを発散するというのは、頭の悪い人の行動のように思います。

そうした行動が許されないとまでは思いませんが、「お気持ち」に共感する数の多い方が勢いを得ていじめられ、ますますストレスになる結末もやむを得ないと思います。マジョリティの側に立てばいじめられる側にならなくていいなというぼやきは理解できますが、傍から見ると、正しく立派でない行動を羨む必要もないのに、みにくい僻みだなと思ってしまいます。

一般大衆の気持ちを尊重するために回りくどいことをするのは我慢できないかもしれませんが、自分が社会正義として正しいと信じる発言をするために少し考慮をするくらいのことなら我慢できるかと思うのですが、そうでもないでしょうか。

23:57:17
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Misskey のハッシュタグトレンド、瞬間風速の高い投稿を拾うので、奇妙なノリを楽しむという目的には適しているものの、何も考えていない危ない投稿を拾いやすいというデメリットも存在する