日本の大学の物理・数学・情報分野で女子が少ないことはよく知られているけど、特に基礎的な分野や理論的な分野を選ぶとほぼゼロになる現象について考えている。
まあ選好の傾向性として多寡があるのは自然だとは思うが、オリンピックで女子競技をなくした場合のように、能力の微妙な差が客観化され、最高位のみが選抜されるものでもないし、ここまで極端になるのは変だなと前から思っている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjst/58/3/58_17028/_pdf
平均的に、そこにないものを想像することに興味がなく、またそのような概念を理解しがたいと思う→物理や化学が嫌いになる人が多い→所属するコミュニティにおいて、物理や化学、数理的抽象概念に関する話題に価値が与えられず、興味が活性化されない
というような原理だろうか。
私は何でも世の中のステレオタイプのせいにしてエンカレッジメントだけで解決するかのような議論には賛同できないし、学問上確かに重要な価値がある、数理的抽象概念の重要性を押し付けているから嫌いになるので、もっと「女性的な」理科にもバランスを取るべきという議論にも賛同できない。
神経学的差異を無視して通り一遍の説明をして、理解したり興味を持ったりして反応してくれる人は向いている、そうでない人は向いていない、という誤った能力主義が問題なのではないかと思う。スタート地点が違っても、その立場に合わせて理解の経験をすれば、中にはこれまでの価値と新しく経験した価値が結びついて、抽象的な法則の探求に人生を捧げてもよいと考える人も中には出てくると思う。後ろに行くほど知的体力の総合戦になってくるので、スタート地点の差はあまり関係なくなると思うのですよね。